水滴の器




    1

 初めての出会った深崎誠二は、とても面倒臭そうな顔をしていた。

 スパーンッ!
 景気のいい音が道場に響いた。ちなみに今の音は、練習中にぼんやりしていた私の面に竹刀が直撃した音だ。
「瀬名! いい加減にしなさい!」
 業を煮やした剣道部顧問が稽古を中断させた。
 それもそのはず、私は女子剣道部の主将で、普段ならほとんどの部員の打ち込みも捌ける腕はある。しかし、今日はほとんど滅多打ちに近い有様。顧問が稽古を中断させるのも無理は無い。
「す、すみません!」
 このような気の抜けた態度で稽古を受けるなど、言語道断だ。私はすぐに顧問に謝った。しかし、簡単に許してくれる程、甘い指導者ではないのは十二分に承知している。
「誤るのはいい! 怪我する前にさっさと帰りなさい!」
「で、でも、体調が悪い訳では…」
「いいからさっさと帰りなさい!」
 問答無用だった。
 胴着の襟首を掴まれ、道場から放り出された。
「佐久良! この馬鹿娘がちゃんと帰るか確認してきなさい!」
「は、はい!」
 そこまでやりますか、先生…。
 見張りを仰せつかった後輩、佐久良かすみは、急いで面を外して、道場から放り出された私の元に駆け寄ってきた。
「行きましょうか、瀬名先輩」
「うん…」
 私はようやく立ち上がり、かすみと一緒に更衣室に向かった。
 彼女、佐久良かすみは私の後輩で、現在二年生だ。小柄で可愛いのだが、起こるとすぐ手が出るのが玉に瑕。諸正気が強い性格で、いつも彼氏(本人曰く、あんな馬鹿と付き合ってません、だそうだが…)と喧嘩している所を良く見かける。
「はぁ…。ごめんね、かすみ。付き合せちゃって…」
「気にしないでください、瀬名先輩。ほら、今日は…、仕方ないですよ…」
 私は俯いたまま何も言えなくなった。
 そう、今日は特別な日なのだ。去年、私にとって、いや、私だけでなく、あの人にとっても、重大な事件が起こった。そして、その時の傷は今も癒えていない。私もあの人も。
「…仕方ない、か…。あんまりそんな言い方しないで欲しいな…」
「あ、ごめんなさい!」
「あ、責めた訳じゃないよ、かすみ。ちょっと愚痴っただけ。うん。やっぱり、今日の私、駄目みたい…」
 かすみに言われて、私は去年の事を色濃く思い出してしまった。だから、少し彼女に当たってしまった。
 今日の私は最悪だ。何の罪も無い後輩に当たってしまうなんて…。本当にどうしようもない。
「かすみ、明日はいつもの私に戻るから、今日は戻ってくれない?」
「瀬名先輩…」
「ちょっと、独りになりたいんだ…」
 私はかすみを置き去りにするように早足で歩き出した。かすみは私に続こうと一歩踏み出したが、すぐに足を止めて踵を返した。
「ごめん、かすみ。今度何か奢るから…」
「はい、楽しみにしてます」
 去っていく彼女の後姿を見ながら、心の中で感謝した。
後で絶対にお礼するかね。…でも、あんまり高い物はねだらないでね…。(←以前、酷い目に合った経験あり)
「…はぁ、帰ろう…」
 私も踵を返し、更衣室に向かおうとした。しかし、その時、私を呼び止める声がした。この声には聞き覚えがある。
 …忘れる訳も無い。あの人の声だ…。
「…よう」
「誠二…」
 四年前に出会った特別な人。
 何でも面倒臭がるくせに、結局は世話を焼いてしまう人。
 そして、誰よりも私が愛している人。
 深崎誠二。
「…少し付き合ってくれないか?」


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