第三章 惨劇の亡霊 2




第三章 惨劇の亡霊 2

作:遠野 秀一 




  2.


 修司達が黒衣の悪魔に襲われる一時間前。
 柊木教会地下にて、静夜達は一度死んだはずのその人物と再会していた。
 柊木司郎牧師。この場所の本来の主であり、一ヶ月前に惨劇を起こした張本人。神に仕える身でありながら、猟奇的な惨殺劇を起こした悪魔。
 事件の闇を暴くため、再び惨劇の舞台へ上がった静夜達。そこで出会ったのは、一度死んだはずの惨劇の主。
 悪魔と、悪魔殺しの戦士。
 出会えば、戦うのは必然のことだった。
 悪魔を見た瞬間、リーズ・ベルナールは飛び出していた。

「Vous repondez a mon appel !!」

 リーズの詠唱と共に、彼女の両手から眩い光が放たれた。
 光の中から現れたのは、二振りの戦斧。
 無骨にて、一切の装飾がない刃。それは純然たる武具として作られた殺意の顕在。肉を裂くため、骨を砕くため、命を屠るために特化された凶器。善悪など関係なく、ただただ殺すための存在。
 リーズは躊躇いなく、その凶器を振るった。
 悪魔の狂気と、悪魔殺しの凶器が激しくぶつかりあった。

「いきなりボクに喧嘩売るなんて、いい度胸してるね? あんた、何者? まぁ、殺しちゃうから、聞いても無駄かな?」

 左手に構えた戦斧にて大鎌の軌跡を外し、悪魔の懐不覚に潜り込むリーズ。
 鮮やかな二斧の技。一瞬にして間合いを詰め、必殺の一撃を繰り出そうとした。
 しかし、次の瞬間吹き飛ばされていたのは、リーズだった。

「きゃあああッ!?」
「リーズ!!」

 鞠のように弾き飛ばされたリーズを、陽平が身を挺して受け止めた。

「な、何? あいつ、今何したの!?」
「お前の左肩に大鎌の柄を当て、動きを一瞬止めた隙に掌底を叩き込んだんだよ」

 静夜が嘲笑を浮かべながら、リーズがやられた状況を説明してくれた。訳もわからず倒されたリーズとしては、静夜の解説そのものはありがたかった。しかし、その笑いは非常に腹立たしかった。

「っていうか何者よ、あいつは!?」
「さぁな? 生前の柊木牧師と同じ姿をしているが、間違いなく別人だろうな。柊木牧師の死は確認済みだ。あれは、柊木牧師という名の亡霊を騙る贋作だ。
 それと、あいつには聞きたいことが山ほどある。勝手に殺すな。まぁ、逆に返り討ちにあっているようでは、その心配は不要か」
「何だと!! ボクを甘く見ると……、って、ぅんッ!?」

 静夜を殴ろうとして立ち上がったリーズだったが、突然眩暈を起こして膝を突いた。
 慌てて彼女を支える陽平。彼女に駆け寄るリゼットと司。そして、そんな四人の様子を冷ややかに見下ろしつつ、彼等を庇うように先頭に立つ静夜。
 静夜は軽く髪をかき上げ、薄い笑みを浮かべた。
 仮面の悪魔は、静夜を前にして明らかに警戒の色を示した。いつでも静夜の首を刈れるよう大鎌を構えつつも、踏み出そうとはしなかった。

「さて、貴様は何者だ? 貴様が、柊木牧師であるはずがないよな?」
「…………」

 静夜が薄い笑みを浮かべたまま、一歩前に踏み出した。
 筆舌しがたい威圧感が場を支配する。ただ一歩踏み出した、それだけの動作に恐怖を感じられる。
 紛い物の悪魔は後退り、逃げる機会を窺っているようだった。それほどまでに静夜を警戒していた。

「ふん、答えたくないならいいさ」

 悪魔が駆け出すと同時に、静夜は指揮者のように指を振るった。
 その瞬間、凄まじい暴風が悪魔に襲い掛かった。風が悪魔の衣を裂き、仮面に傷を付けていく。ただし、その暴風の力はあまりに凄まじく、その場にいる彼の仲間達も同時に傷付けていた。ただ一人、静夜だけが風の中心で微笑んでいた。

「あっはははははは!! 剥いでやるよ、その化けの皮!!」
「やかましい、馬鹿ァ! ボク達まで殺す気かァァァ!!」

 リーズが後方で何か叫んでいたが、静夜は無視して指を振るい続けた。
 風は止まない。静夜が指を振るう限り、風は暴れ続けた。そして、風は悪魔を切り刻み続けている。

「……信じられない。ノーアクションでこれほどの魔術を使えるなんて……。何なんですか、あの人は!?」

 暴風に揉まれながら、リゼットが困惑をあらわにして叫んだ。

「え、えっと、どうした、リゼット?」
「ここまでのレベルの魔術を詠唱もなく、魔法陣も描かず、ノーアクションで行使するなんて、信じられません。仮に、魔道具の助けがあったとしても、異常なレベルです!」
「あ〜、やっぱり、うちの弟って天才なのかねぇ?」

(……もう、そんなレベルは超えているわ。あれは至ろうとしている。人の身で、悪魔の領域に……。もし、そうだとするなら……)

 更に風が吹き荒れる。
 まるでリゼットの敵意に反応し、吠え猛っているかのようだった。
 一瞬、静夜が振り返ったような気がした。それはリゼットの錯覚だったのだろうか。ただ、この風は確実にこう言っている。俺の手に回るというのならこの場で殺す、と。
 それに何故だが、静夜には逆らえない。リゼットはそんな気がしてならなかった。

「…………ッ!!」
「ほぅ、来る気か?」

 荒れ狂う疾風を押し退け、悪魔は静夜に向けて大鎌を振るった。
 静夜は軽く舌打ちをし、その場から飛び退いた。その瞬間、まるでスイッチが切れたかのように暴風が止んだ。
 風が止んだと同時に、攻守が一転した。
 反撃を待ち侘びていた悪魔の大鎌が暴れ出した。悪魔の標的は、静夜ただ一人。先程のような魔術を使わせれば、悪魔にとって敗北は必至。だからこそ、悪魔は執拗に静夜を狙って鎌を振るった。

「おい、静夜! さっきの奴、もう一度使えよ! そうすりゃ、そんな奴、簡単に倒せるだろう!」
「馬鹿言うな、兄貴。あんな大魔術を容易く連発できる訳ないだろう?」

 鎌の猛攻を紙一重でかわしつつ、陽平の問いに答える静夜。
 静夜はまだ余裕だった。薄い笑みを浮かべ、何か策謀を巡らせているようだった。

「それより、いい加減イノシシ娘の調子は戻ったか?」
「イノシシ? あぁ、リーズのこと……ぐほぉ!!」
「誰がイノシシだ!! 馬鹿兄弟!!」

 リーズは失礼な発言をしようとした陽平を殴り飛ばし、戦斧を手にして立ち上がった。悪魔から負わされたダメージも完全に回復したようだった。

「このクソ悪魔、絶対に殺す! 僕をコケにしてくれた礼は、きっちり払ってもらうからね! あと、静夜も後で絶対に殴る!!」
「……気のせいか、一番最後のが一番難しい気がするな」
「やかましい!」

 いらぬことを言う陽平を再度殴りつけ、リーズは祈りを捧げるように跪いた。
 否、まさしく祈りを捧げていた。
 人を殺すための道具で十字を作り、神に祈りを捧げる。
 それは血塗られた罪人の贖罪か、それとも殉教者としての正義か。

「天に居ます父よ、御名が崇められ、御国が地に来、御心が行われますように……。
 日々と糧を与え、我等の罪を許し、負い目を許したまえ……。
 試みに会わせず、悪から救いたまえ!!
 御力により、我が戦いを助けたまえ!!」

 リーズから黒い濃霧のような瘴気が噴き出した。
 身の毛がよだつ邪悪な瘴気。夜陰よりもなお暗く、悪魔よりもなお邪悪。人為らざる者の穢れがリーズより立ち昇っていた。
 漆黒の穢れを纏い、少女は立ち上がった。
 手には殺意の顕在。人を殺すためだけに作られた凶器。悪魔殺しが振るう殺戮の刃。

「――――――――――――――ッ!!!」

 それは言葉にならない猛りの雄叫び。
 狂戦士の咆哮が、暗き地下室に響き渡った。人とは思えない、まるで血に飢えた獣のような殺意の声。獣性に満ちているのは声だけではなかった。その身に纏う雰囲気、身構えそのものが野獣のそれだった。

「Courses de la puissance du Christ apres toi!! 
 Courses de la puissance du Christ apres toi!!
 Courses de la puissance du Christ apres toi!!」

 。
 人の心を捨て、人を殺すためだけの人形とする呪い。
 彼女が狂化する起因は、祈りの聖句。神の力を以って悪魔を祓う聖なる言の葉を暗示とし、彼女は悪魔を殺す狂戦士と化す。
 神への祈りが、彼女を悪魔とする呪いの言葉だった。

「なるほど、これが悪魔殺しの力という訳か。毒をもって毒を制す。悪魔は悪魔同士で殺し合えってか? なかなか効率のいいことだな」

 教会の暗部に潜む非道さを嘲笑い、静夜は悪魔から大きく距離をとった。
 そこに留まれば危険と判断したからだ。おそらく今のリーズにまともな思考能力は残っていないだろう。だからこそ、あの悪魔、正確に言えばリーズの標的の近くにいるのは危険だった。
 あれはただ殺すためだけの存在。
 下手に近付けば、あれは何の躊躇いも無関係な人間を殺すだろう。
 巻き添えになるつもりはなかったので、静夜は素早く戦線から離脱し、リゼット達の元に戻ってきた。

「さて、お手並み拝見といこうか?」

 獣性に満ちた雄叫びを上げ、リーズは駆け出した。
 戦斧が狂ったように乱舞する。植えた獣のような勢いのリーズが振るう戦斧はまさに怒涛の勢いだった。殺傷能力は高くても、大振り過ぎる悪魔の鎌では対応しきれるはずがなかった。
 リーズが大鎌の間合いを掻い潜り、黒いマントを切り裂いた。
 マントの中から覗く腕は想像以上に細かった。とてもではないが、大鎌を軽々と振るえるほどの豪腕には見えなかった。

「Courses de la puissance du Christ apres toi!!」

 キリストの力が汝を追う。
 神の名を借りた虐殺者の言葉。

「……ッ!? リーズ、避けろ!!」

 陽平の視界に、それの鈍い輝きが見えた。
 避けたマントの合間から抜き放たれたナイフの輝きが。
 しかし、陽平の制止などまるでなかったかのように、リーズは悪魔に突っ込んだ。
 ただ、敵を殺すためだけに。

「リーズ!!」

 ズブリ、と肉が裂ける音がした。
 力なく崩れ落ちたのは、リーズの体のみ。悪魔は血に染まったナイフを捨て、大鎌を振り上げた。無機質名悪魔の仮面が一瞬、笑っているように見えた。
 その瞬間、陽平は危険を顧みず飛び出していた。

「おい、馬鹿兄貴!?」
「陽平君!?」

 静夜とリゼットの制止の声が聞こえたが、陽平は止まらなかった。
 今、彼の頭の中にはリーズを助けることしかなかった。よく静夜から、考えなしの大馬鹿野郎、と言われているが、まさしくそのとおりだった。

「今助ける、リーズ!!」

 陽平の接近を認識した悪魔は、大鎌の狙いを彼に定めた。手負いのリーズよりも、無謀に突っ込んでくる陽平の方が厄介と判断したのだろう。

「ちっ、世話が焼ける! ……ッ!?」

 不肖の馬鹿兄を助けるため、静夜は魔術の印を切ろうとした。
 しかし、その印は不完全な形で途切れた。身も凍るような殺意を感じ、その指が止まった。それは恐怖によるものではなかった。むしろ、その時静夜が覚えた感情は、歓喜だった。

「Courses ……de la pui……ssance…… du Chr……ist apres…… toi……」

 彼女の殺意はまだ死んではいなかった。
 倒れかけた状態から戦斧を振るい、悪魔の脇腹を裂いた。

「――ッ!?」

 まさかの反撃に、悪魔は初めて動揺の色を表わした。
 振り上げた大鎌が揺らいだ。しかし、それでもまだ悪魔の優勢は変わっていなかった。バランスを崩しつつも、悪魔は大鎌を振り下ろした。
 しかし、悪魔が一瞬揺らいだ隙に、リーズも立て直していた。戦斧で重そうな大鎌の一撃を防いでいた。
 傷口から血が噴き出した。リーズの傷は決して浅くなかった。このまま戦えば、命に関ることは間違いなかった。
 それでも、リーズは戦斧を振るった。ただ、敵を殺すためだけに。
 狂戦士の一撃は重かった。大鎌を軽々と振るう悪魔でも、その一撃によって簡単に弾き飛ばされた。

「Courses de la puissance du Christ apres toi……」

 狂戦士は決して退かない。否、退けないのだ。
 正気を失ったリーズの瞳は、ただ敵のみを移していた。そして、その手に握られる戦斧は敵を屠るためだけにあった。

「……そうでなければな。俺を失望させるな、ヴァチカンの狗……」

 見せてみろ、悪魔殺しの狂戦士。
 この程度で倒れくらいでは面白くない。
 その力は、俺達のような悪魔を屠るためのものだろう。
 ならば、この程度で倒れるな。
 もっと俺を楽しませろ。

 静夜は魔術師であり、ベルナール姉妹はヴァチカンの異端殺し。いずれ、どんな形であれ、必ず彼女達は敵となる。
 今まで強敵という相手を知らずに過ごしてきた静夜にとって、彼女達のような存在はある意味待ち望んでいたものだった。

「リーズ、無茶をするな!!」
「っていうか、陽平君も離れて! 今のリーズは敵味方関係なく……」

 戦斧が振るわれる。
 一番近くにいた陽平向けて。

「どわああああああッ!!」

 間一髪で避けた。
 散々静夜に殴られていたのが幸いしてか、危機回避能力は随分と上がっていたようだ。

「ちっ……」
「ちっ……じゃねぇよ、馬鹿静夜!! お前、兄が……」
「っていうか、早くそのイノシシ娘から離れろ。マジ死ぬぞ」
「はァ? って、のわあああッ!?」

 またも間一髪で避けた。
 いつもはボコボコに殴られているのだが、こういう時だけは本当によく避ける。陽平は戦斧の追撃を避けつつ、静夜達の元に逃げ帰ってきた。

「ちっ……」
「だから、ちっ……って言うな!!」

 兄の訴えを無視して、静夜は悪魔に視線を向けた。
 魔術師である静夜と、狂戦士と化したリーズを警戒し、悪魔は教会地下室の一番奥でこちらの様子を窺っていた。
 否が応でも、あの姿を見ると柊木牧師を想起させる。
 しかし、あれが柊木牧師ではないのは間違いない。静夜達は確かにこの目で、あの男の死を確認したのだ。

「貴様が、柊木牧師のはずはない。……何者だ?」
「…………」

 悪魔は答えない。
 無機質な仮面はただ静夜を睨み付けていた。
 静夜もそれ以上、何も言わずに無言で睨み返していた。彼は何も言わないだけで、それだけで充分な迫力があった。
 重苦しい沈黙が場を支配する。
 静夜はいつでも攻める準備はできていた。悪魔が動けば、その瞬間に八つ裂きにする気でいた。しかし、静寂の均衡は意外な形で崩れることになった。
 リーズが倒れた。戦斧が落ちる音が、教会地下室に鳴り響いた。
 予想外の出来事に一瞬の隙が生まれた。その瞬間を最大限に生かしたのは、悪魔だった。

「くっ!?」

 静夜の反応が一瞬遅れた。
 自分自身への攻撃ならば、即座に対応できただろう。しかし、悪魔の大鎌は今まさに倒れたリーズに向かって振り下ろされていた。
 正直見捨てても構わなかった。しかし、まだ死なすには惜しい。
 助けるか、助けないか。その判断に一瞬迷った。それが静夜の動きを鈍らせていた。

「……世話が焼ける! この役立たずが!」

 静夜としては正直面白くない結果になるとすでにわかっていたが、それでもリーズを助けるべく駆け出していた。

「我、因果を超越する者なり!!
 我が命に従い来たれ、遍く命を喰らいし紅蓮の魔刃よ!!」

 リーズが戦斧を呼び出した時と同じように、眩い閃光と共にそれは現れた。
 血染めのような真紅の大鎌。
 死神の鎌を想起させるような不吉な殺意を纏い、紅蓮の刃は見る者に絶対的な恐怖を与える。純然たる武器というよりも、逃れられない運命を象徴した祭具。奉られるべき荘厳なる大鎌だった。
 リーズが振るう戦斧とはまさに対照的なものだった。しかし、違いはそれだけではなかった。
 詠唱のみによる簡易召喚で戦斧を呼び出したリーズに対し、静夜は何もない空間から大鎌を生成したのだ。どちらの魔術がより高度で、現実を侵食する禁じられたものは言うまでもない。
 存在そのものを生み出す魔術。これほどの魔術を詠唱と簡略な印を切るだけで発動できる魔術師など、世界にどれほどいるだろうか。

「失せろ、クソが!!」

 静夜は横薙ぎに大鎌を振るった。
 しかし、悪魔はそれを跳躍で避けると、そのまま静夜の脇をすり抜けた。

「おい、お前等! そこから離れろ!」

 悪魔の大鎌がリゼット達に振るわれた。
 しかし、それより一瞬早く聞こえた静夜の声により、彼女達はその悪魔の一撃から間一髪で逃れることができた。
 リゼット達は無事だったが、それは一方で教会地下室唯一の出入り口を塞ぐ者がいなくなったことを示していた。悪魔はその隙を逃さず、一気に階段を駆け上ろうとした。

「ちっ、クソが! 舐めた真似してんじゃねぇぞ!!」

 静夜は怒声と共に、大鎌をまるでブーメランのように軽々と投げ飛ばした。
 投げられた大鎌は悪魔のマントを裂いたが、それでも悪魔本体には届かなかった。
 難を逃れた悪魔はそのまま一気に階段を駆け上っていった。

「おい、リゼット、馬鹿兄貴! てめぇ等はさっさとイノシシ娘をどうにかしろ! そいつの傷、相当にヤバいぞ!」
「わ、わかってる! お前は、あの悪魔を追ってくれ!」
「あぁ、逃がすかよ!」

 静夜は悪魔を追って、階段を駆け上っていった。
 リゼットと陽平は倒れたままのリーズに駆け寄り、傷の具合を見た。大切な臓器には傷付いていないようだが、出血量はかなり危険な域に至っていた。
 辛うじて意識はあるようだったが、それも途切れる寸前だった。

「リーズ、大丈夫か?」

 陽平は意識が朦朧としているリーズに声をかけ、リゼットは素早く傷口の応急処置を始めた。

「……う、うん、何とか……。それにしても、陽平……」
「ん? 何だ?」
「……馬鹿だよね、ボクなんかを助けようとするなんて……。
 あのね、教えとくよ……。ボクは人間じゃないんだよ。人間の形をしただけの殺人機械なんだから。……陽平が命を懸けて守るような……」
「お前こそ馬鹿言うな! 仲間を助けるのは当然のことだろう? 俺だって、あの静夜だって、身内を守るためならどんなことだってするぜ?」

 一瞬、リーズは意外そうに目を丸くした。
 そして、小さく微笑んだ。それは本当に嬉しそうな笑顔だった。

「仲間……か。ボクはこの血の運命を知った時から、そんなもの捨てたのに……」

 血の運命。
 呪われた自身の血の呪縛を知り、少女は人間を捨てた。
 石を投げられ、罵詈雑言を浴び、人間としての尊厳を失った。残ったものは、たった一人の家族。生き残るためには、悪魔となって人を殺し続けるしかなかった。
 だから、今更仲間など考えもしなかった。
 誰も、こんな血塗れの手を取ってくれるなど想像もできなかった。

「何だか知らんが、そんなん止めとけ。つまんねぇぞ、信じられる仲間がいねぇなんて。それに、俺達はもう仲間じゃねぇか? そうだろ、リーズ」

 陽平が力強く、リーズの手を握った。
 その手の温もりが嬉しくて、少しだけ涙が溢れた。

「…………うん、そうだね。ありがと……」

 リーズは安らかな笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。
 傷だらけで血塗れになって、ボロボロで意識を失うのはいつものことだった。しかし、これほど安らかな眠りを得られるなんて思ってもみなかった。

「リーズ!!」
「大丈夫です。命に別状はないはずですから」
「そ、そっか……」

 ひとまず陽平は安堵した。
 リーズが無事で本当によかった。もう身内が死ぬのは見たくなかった。

「……ありがとう、陽平君。リーズを仲間と呼んでくれて」
「んっ? 何でありがとうなんだ?」
「この子は、孤独なんです……。私じゃ、この子の孤独は癒せません……。肉親であっても、肉親であるからこそこの子の孤独は癒せないんです。だからこそ、貴方がこの子を『仲間』と呼んでくれてよかったです。
 この子がこんなにも無垢な寝顔を見せるの、本当に久し振り……」

 応急処置を終え、優しく双子の片割れの髪を梳くリゼット。その仕草は姉妹というよりは、母親のような温かな母性に満ちていた。
 陽平もそっと手を伸ばし、リーズの髪を梳いた。
 リーズの孤独。それがどんな苦しみなのかわからない。肉親であるリゼットにも癒せない孤独とは何なのか。陽平には何一つわからなかった。
 しかし、この少女が孤独に苦しむというのなら、手を差し伸べよう。陽平は、静かに眠る血塗れの少女の寝顔を見つめながら、そう決心した。

「……悪いな、リゼット、兄貴。あの野郎、すでに姿晦ましてやがった……」
「逃げられましたか。仕方ありませんね。それより、今はリーズを……」
「そうだな。兄貴はとりあえずそのイノシシ娘を上に連れていって、……鎌足、いや護国寺とかいう刑事に連絡を取れ。これが連絡先だ。俺とこいつはもう少しここを調べる」
「あいよ」

 陽平は静夜から護国寺という刑事の連絡先を受け取ると、リーズを抱えてなるべく衝撃を与えないように階段を上っていった。
 残ったのは、静夜とリゼットのみ。二人はしばらく無言のままだったが、しばらくして彼女が口を開いた。

「……貴方は、何者なんですか?」
「俺のことより、あの悪魔野郎のことを気にしないのか?」

 あんな悪魔よりも、この男の方がよほど危険だった。
 それはこの場にいた誰もがわかっていた。あの悪魔ですらも静夜との直接対決を避けていた。もっとも危険なのは風間静夜をおいて他にいない。
 魔術師として相当な資質があることは初めからわかっていたが、リゼットは静夜がここまでの能力を持っているとは思ってもいなかった。つまり、静夜はの能力を有すリゼットをも欺くほどの能力者だったということだ。
 は隠れた魔術師を見つけるための能力を有している。魔術師を見つけることに特化した能力。それを欺くとなると、その能力よりも数倍以上の力を有しているということだ。それがどれほど恐ろしい存在か、リゼットは身に染みて理解していた。

「……これでも魔術師なんだ。切り札の一つや二つ持っている。もう一度、あれと同じ大魔術を使えといわれても無理だ」
「……わかりました。そう言うなら、信用します。静夜君は悪ぶっているようで、いい人ですから。戦力になってくれる限りは頼もしいです。
 それよりも、問題はあの悪魔のことです。柊木牧師と同じ姿をした、あの……」
「そうだな。確かにあの野郎は生かしてはおけない……。この俺の身内を騙りやがったんだ。許せるはずがない」

 先程の陽平のセリフが脳裏に蘇った。
 あの静夜でも身内のためならどんなことでもする。冷淡で凶悪な男でも、身内を大切に思っている。仲間のためならば、どんなことも厭わない優しさと強さ。
 リゼットは何だか少し安堵した。
 セリフそのものはやはり凶悪だったが、それは身内を大切に思っている証拠でもあった。

「ぼさっとするな。仕事をするぞ!」
「うん!」

 柊木牧師と同じ姿をした悪魔。
 あの悪魔はいったい何者だったのだろうか。
 そして、何故惨劇が起こったこの場所にいたのだろうか。
 柊木楓の事故。柊木教会の惨劇。ベニーニ枢機卿の殺害。そして、新たに現れた柊木牧師と同じ姿を騙る謎の悪魔。謎ばかりが深まり、真実は見えてこない。この惨劇はどこに向かっているのだろうか。そして、その惨劇の果てには何があるのだろう。
 今はまだ何一つわからなかった。
 ただ、惨劇は広がっていく。







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