第四章 悪魔の尻尾 1




第四章 悪魔の尻尾 1

作:遠野 秀一 




  1.


…………こ……ぉ……せ…………。

 生まれてきて、ごめんなさい。
 この手は生まれた時から罪に塗れている。
 ボクが生まれてこなければ、誰も死なずに済んだのに。

……こ、……ろ……せぇ……。

 ボクの一族は堕天した者達の末裔。
 だからこそ、ボクは生れ落ちた時から呪われている。

……殺、せぇ……。

 償うことなど到底できるはずもない。
 何故なら、ボクは生きている限り、罪を犯し続けるのだから。

殺せ!
殺せ、殺せ!!
殺せ、殺せ、殺せ!!!


 どうかお願いします。
 誰か、ボクを殺してください。
 ボクがボクでいられる間に、ボクを消してください。

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……。

 ボクの願いは、ただそれだけです……。










 風明寺跡の一件から翌日。
 あの生死を賭した死闘から生き延びた凪修司は、風城総合病院前で人を待っていた。待ち人は、あの悪魔から救ってくれた人物達だった。
 殺される、そう覚悟した瞬間に現れた彼等の介入によって、悪魔は予想以上にあっさりと退いた。悪魔には修司達を殺すチャンスがあったにもかかわらず、正体を隠すことを優先したようだった。

「ハロー、役立たず君。元気かい?」

 待ち人と顔を合わせた途端、笑顔で嫌味を言われた。
 皮肉と嫌味の混じった挨拶を受け、修司は顔をしかめるしかなかった。

「あぁ、元気だよね。大した傷を負ってないもんね? 亜紗姉が庇ってもらったんだからねー。役立たずもいいとこだよね?」
「…………」

 連発される嫌味がまさに真実であるため、修司は何も言い返せなかった。
 開口から修司に対して嫌味を連発する少年の名は、佐渡逸樹。あの黒衣の悪魔から救ってくれた張本人だ。詳しい事情は知らないが、亜紗を『亜紗姉』と慕う中学生だ。
 瓶底のような度のきつい眼鏡をかけ、飄々とした駄目男のような印象を受ける。しかし、意外にも身丈は高く、スポーツ万能な修司よりも骨格がしっかりしているようだった。悪魔に殺されそうになった時、逸樹が駆けつけてくれたのだが、その時の身のこなしはまるで獣のように俊敏だった。
 ひ弱そうな印象とは裏腹に、おそらく相当な実力者であるのは間違いないだろう。少なくても、修司はそう思っていた。

「いい加減にしろ、逸樹。もし、彼がいなかったら、亜紗はあの悪魔に殺されていた可能性もあったのだぞ?」

 もう一人の待ち人が、逸樹の嫌味を嗜めた。
 この禿頭痩身の中年は、護国寺竜彦。修司はこの人物とすでに二度面識が会った。一度目は、あの柊木教会事件の後。二度目は、ベニーニ枢機卿が殺された日。どちらも取調室で会った。この護国寺はつまり、刑事だった。

「……どうかな? 僕は、こいつがいたから亜紗姉は死にかけたんだと思ってるけど?」
「…………」

 まさに逸樹の言うとおりだった。
 修司を庇わなければ、亜紗があれほどの深手を負うことはなかった。しかも、亜紗は助けに来た逸樹達に対して、この怪我は自分の不注意だと言い張り、ここでも修司を庇った。
 情けないにも程がある。
 修司は後悔の念に押し潰されてしまいそうだった。

「いい加減にしろ、逸樹。亜紗達の病室に向かうぞ」
「ちぇー。まだイビリ足りないんだけどなー」

 逸樹の頭を一発殴り、護国寺は病院の入り口に向かって歩き出した。逸樹は一瞬俯いたままの修司を横目で睨み、そのまま護国寺を追った。

「……ちくしょう。あいつの言うとおりだ。亜紗を守れず、何やってんだ、俺は……」











 風城総合病院の一般病棟六階。
 六○九号室に亜紗、そして、リーズが入院していた。
 修司が聞いた話では、リーズも柊木牧師を同じ姿をした悪魔に遭遇し、深手を負ったらしい。そして、あの悪魔(同一人物かは未だに不明)が再び襲撃してくることを警戒し、二人を同室にしたようだ。ただ、今二人がいる病室は元々個室なので、少し狭い、と不満が出ているらしい。

「亜紗姉、入っていい? あ〜、あと、金髪ツインテールも」
「えぇ、いいわよ」
「変な呼び方するなー」

 一応、中にいる二人に了解を取り、修司達は病室に入った。
 個室に押し込められた二つのベッドのため、少し狭く感じられた。背中を斬られた亜紗はうつ伏せに寝ていた。修司と目を合わせるなり、心配するな、と言うような優しい笑みを浮かべた。しかし、その姿や笑顔が逆に痛々しかった。

「亜紗姉、傷の具合はどう? 大丈夫かい? あ〜、あと、金髪ツインテールも?」
「これくらい大丈夫よ。心配いらないわ」
「だから、金髪ツインテール言うな、グルグル眼鏡!」

 金髪ツインテールこと、リーズ・ベルナールは意外に元気そうに見えた。しかし、病院に運び込まれた時には意識不明の重体だったらしい。

「まぁ、あそこの珍獣は置いといて……」
「珍獣ってのは、ボクのことかー!?」
「亜紗姉、あまり無茶しないでよ。前に出て戦うのは僕の役割なんだから。危険かもって思ったら、僕を呼んでくれないと」
「ごめん、油断してたわ。でも、おかげで確証を得られたことがあったわ」

 隣でやたら元気に喚いている怪我人がいたが、亜紗と逸樹は無視して話を続けた。

「そんなことより自分の身を案じてよ。ぶっちゃけ、町の人間が皆殺しになろうと亜紗姉さえ無事なら、僕はそれでいいんだよ」
「ぶっちゃけ過ぎだ、この大馬鹿者!」

 護国寺は逸樹の頭に拳骨を落とし、そのまま襟首を掴んで後ろへ放り投げた。ぞんざいな扱いだったが、逸樹にはあれくらいがちょうどいい気がした。

「それでは、確証を得た情報について話してもらおうか?」
「いいわよ。でも、その前に……」
「……これからは合同捜査ってことで、ボク達との間に隠し事はなしだよ。ボク達もこれまで会ったことは話すから。……という訳で、リゼットが来るのを待ってほしいんだけど? あと五分くらいで着くだろうから」
「いいだろう。では、リゼット・ベルナールが着き次第、風明寺の件と柊木教会の件を話してもらおう」

 護国寺は一旦下がり、倒れたままの逸樹を蹴り飛ばした。
 殴られたり、蹴られたり、投げられたりと散々な目に合わされている逸樹であったが、ほとんどダメージを受けていないようだった。どこかの馬鹿兄貴のような頑丈さだった。
 リーズの予告どおり、五分後。リゼットが病室に到着した。
 しかし、現れたリゼットの表情はいつになく強張っていた。恐れている、緊張している、といった面持ちだった。それはとても双子の見舞いに来たようには見えなかった。彼女の様子から察するに、ここにいる面子とは一応の面識があるようだった。
 リゼットは特に逸樹を睨み、彼から距離をとるようにリーズの側に行った。

「リゼット、状況からすでにわかっているかもしれないけど、『白の派閥』と合同捜査をすることにしたよ。勝手に決めちゃって、ごめん」
「ううん、いいのよ。リーズは私の上官なんだし、遠慮することないよ」
「……『クルキアレ』の階級なんて、ボクにとってどうでもいいことだよ。こういう大事なことはリゼットに相談したかった」

 リゼットは嬉しそうに微笑み、リーズの頭を撫でた。その行為に言葉はなくとも、気にするな、という気持ちがこもっていた。そして、それはリーズにしっかりと伝わっていたようだった。

「さて、そちらさんは揃ったみたいだね。確認しておくけど、今生きているクルキアレの調査員は二人だけかい?」

 逸樹はベルナール姉妹を見据え、そう尋ねた。
 何故、逸樹がこんな偉そうな態度なのだろう、と修司は疑問に思ったが、口は挟まなかった。場がそんな疑問を許すほど、ぬるい空気ではなかったから。

「いいえ、現地協力員が三名います。クルキアレの人員は、もう私達だけです……」
「あぁ、やっぱり、そっちも何人か殺されたの? こっちも何人か殺られたよ」
「こ、殺されたって、そんなニュース聞いてないぞ!」

 思わず疑問を口に出てしまったことを、その瞬間に後悔した。
 逸樹に不服そうに睨まれるのはこの際構わなかったが、その他全員の冷たい視線が辛かった。

「……役立たず君、君の空っぽの脳味噌使って考えてみなよ」
「空っぽなんで使えねーよ!」
「はぁ……、本当に役立たずだなぁ。仕方ない、説明してあげるよ。実にシンプルなことだよ。死体が出なければ、事件にならない。あんまりにも簡単過ぎて、笑えるだろう?」
「ッ!?」

 逸樹の言うことは実に簡単なことだった。
 たとえ、人を殺しても死体さえ見つからなければ、事件にならない。だから、殺人者は死体を隠そうとするのだ。事件にさえならなければ、何も変わらぬ日常が続くだけなのだから。

「イッキ」

 亜紗は逸樹を見つめ、そう口にした。イッキ、とはおそらく逸樹のニックネームなのだろう。

「確か殺されたのは……、正確に言えば連絡が取れなくなったのは、三人よね? しかも、一人は高い霊力を持った呪術師」
「うん、そうだよ。だから、僕がこうして戦力として派遣されたんだから」
「…………」

 訳のわからない単語が飛び交うのはいつものことだったので、修司は傍観しながら話を聞いていた。とりあえず、後でまとめて亜紗に聞くことにした。

「私達の方では、四名行方不明になりました。おそらくすでに生きてはいないでしょう」

 合わせて七人の犠牲者。
 世間に知られていない哀れな犠牲者達がいたとは、修司は想像すらしていなかった。闇は暗く、どこまでも深い。その恐ろしさを改めて思い知った。

「……では聞くけど、そのうち能力者、魔術師は何人いたの?」
「全員です。そのうち二人はの能力を保有していました」
「最悪……。じゃあ、五人も……。冗談じゃないわ。能力者五人も生贄にすれば、相当大掛かりな術式が組めるでしょうね。しかも、ペンタグラムの魔法陣だって……」

 亜紗は不機嫌そうに頭を掻き、思案に耽ってしまった。
 考え事に集中してしまうと、何も聞こえなくなるのは亜紗の悪い癖だった。

「私達からもお聞きしたいのですけど、そちらの調査員は貴方達で全員ですか?」
「いや、バックアップがあと一人いる。物資補給や移動手段の確保などがおもな任務で、実際の作戦行動に加わるのは私達三人と、現地協力員である凪修司君だけだ」
「物資補給か……。ねぇ、ボク達、ちょっと装備不足で困ってたんだ。よければ、ボク達にも物資を分けてくれると助かるんだけど、駄目?」

 リーズの問いに護国寺は逡巡し、頷いた。

「まぁ、構わないだろう。君達も日本では動き辛いだろう。必要なものがあれば、私に言ってくれ。あとで連絡先を渡す」
「やたぁー、助かるよ。ボクが動けない以上、リゼットを守れる人員がいなかったからね。せめて装備だけでもちゃんとしてあげたかったんだよ」
「別にそんなに心配してくれなくても、静夜君がいるから大丈夫だよ」
「いや、そいつが一番危険だと思うんだけど……」

 亜紗が、同感、といった表情で頷いていた。
 ベルナール姉妹がいつも風間兄弟と一緒にいるのは知っていたので、彼等が協力者だという事実に修司はさほど驚かなかった。

「ねぇ、少し気になったんだけど、今、その静夜君? は、どうしてるの? そいつ等が君達の協力員なんだろう?」

 修司は正直、今の複雑な心境で静夜とは会いたくなかった。
 彼は個人的に言えば、静夜は嫌いではなかった。素直にあの強さに憧れていたし、似た境遇を持ち、親近感も持っていた。できることなら、信じたいとすら思っていた。しかし、あの惨劇の犯人が彼だというなら、許せるはずがなかった。
 そんな心理状態で彼に会えば、どんな反応をしてしまうか修司は自分でもわからなかった。

「静夜君と司君は、先日の鎌足さん達が……」
「苗字で呼ぶなぁ!」
「ひゃう、ごめんなさい!」

 すっかり忘れていたが、亜紗は苗字で呼ばれるのが嫌いだった。
 数日前に散々怒られたことを思い出し、修司は少し苦笑した。周りを見渡してみると、逸樹と護国寺も苦笑していた。どうやら彼等も、亜紗の苗字問題で痛い思いをしたらしい。

「……あ、亜紗さん達が襲われたという寺院の調査に向かっています。静夜君は魔術師として相当高いレベルですし、司君は……、その……」
「邪眼の保有者なんだろ。彼については一応、組織に保護要請が出てるらしいから知ってるよ。僕達の組織の最大の目的は、そうした存在を隠すことだし。君達と違ってねー」

 どうも逸樹は一部の人間を除いて、大抵のものに対して皮肉な物言いをする。修司は若干呆れながら、逸樹とベルナール姉妹の話を見ていた。

「そうですね。私達の組織は貴方達のような存在を殺すことを目的としていますからね。正直、処分対象と協力するなんて最悪ですよ」

 リゼットが珍しく嫌悪感全開で逸樹を睨んでいた。
 逸樹も涼しい顔をしているようだが、目には冷たい憎悪を光らせている。修司は一度体感したからこそわかった。あれは紛れもなく殺意。二人とも、隙あればいつでも殺す気でいるようだった。

「あァ? 何? 気に食わないって言うなら……」
「イッキ、止めなさい。ベルナール姉妹も、今は我慢して。万全な状態であっても、貴方達だけで勝てる相手じゃないのはわかるでしょう?」
「…………」

 リゼットは憎々しそうに逸樹を睨んだが、結局それ以上何も言葉を発しなかった。
 異能の力を持った存在を殺すために何度も死線を潜り抜けた彼女達だからこそ、目の前にいる佐渡逸樹という人物の危険性がよくわかった。彼と戦うのに、二人程度戦力で足りるはずがなかった。
 万全の状態、風城町到着当時の戦力があったとしても勝てる見込みは薄い、とリゼットは判断していた。リゼットよりも実戦経験の多いリーズは、中隊並の戦力が必要と判断していた。

「リゼット、そんなグルグル眼鏡なんか相手しない。今はこの事件の調査が最優先だよ」
「うっ……、わかったよ」

 リーズに窘められ、リゼットは少し落ち込んだ。

「さて、現状の人員は現地協力員を含めて一〇人だね。だけど、ボクと亜紗は入院して動けない」
「そうね。復帰できるようになるまで、約二週間必要ね」
「それに、現地協力員はぶっちゃけ役立たず。能力はあっても信用できないのが、約一名いるし。期待できない」
「うっ……」

 リーズにまで役立たず呼ばわりされ、修司はかなり凹んだ。
 信用できない約一名とは、間違いなく静夜のことだろう。しかし、それでも能力は認められている分、修司より扱いは上だろう。

「それに、グルグル眼鏡は戦力としては申し分なさそうだけど、頭は悪そう」
「言ってくれるねぇ、金髪ツインテール。まぁ、実際頭動かすのは僕の仕事じゃないけどねぇー」

 逸樹は嫌味など気にした様子もなく、カラカラと笑っていた。
 頭が悪いことを自覚しているのか、と修司が思っていると、逸樹に笑顔で睨まれた。頭はともかく、勘はかなりいいようだった。

「はっきり言って、この事件を追うには人員が足りなさ過ぎる」

 リーズは大袈裟なジェスチャーをしながら肩を落とした。
 実際に動ける人員が八名では、通常の捜査を行うだけでも人が足りない。加えて、昨日のような戦闘になることを考慮すると、戦力不足も深刻な問題だった。

「そうですね、正直この人数での捜査はきついです。特に、戦闘に特化した人員はかなり限られています。先日の柊木牧師に扮した悪魔を単体で撃退可能なレベルに限れば、おそらく静夜君と逸樹君のみでしょうし……。
 これ以上、人員と戦力を減らす訳にはいきません。今後、捜査に当たる際は三人以上のチームを組んでください。日常時も可能な限り、一人になることは避け、常に警戒を怠らないでください。単体での戦闘は逸樹君でも極力避けてください。敵は狡猾です。何を仕掛けてくるかわかりません」
「了解〜、自粛するよ。大抵のことならどうにかなるくらいの経験は積んでるつもりだけど、今回の奴はちょっとねー。舐めた真似してると、痛い目合いそうだ」

 亜紗とリーズを横目で見ながら、逸樹は軽く嫌味をぼやいた。
 しかし、実際は嫌味だけではなく、この事件の奥に潜む敵に対しての脅威を感じていた。逸樹の実力ならば、風明寺跡で遭遇したあの悪魔を倒すことは容易だったし、追撃して倒すこともできたはずだった。それでも、追わなかった理由はもちろん亜紗の安全を優先したかったという理由もあったが、追えば必殺の罠が仕掛けられていると踏んだから。
 常に死と隣り合わせにいる者は、死に対して敏感だった。本能的に生死の分け目を嗅ぎ取ることができる。逸樹にもそんな特殊な嗅覚があった。

「……で、今後の具体的な動きは? 人員が足りないからといって、このまま後手に回り続けられるほど甘い状況じゃないでしょう?」
「確かに亜紗さんの言うとおりですね。
 私としては、リーズと亜紗さんの護衛に逸樹君を。柊木教会と風明寺跡の調査に静夜君を推します。それと、司君と陽平君は、できれば静夜君と切り離しておきたいですね」

 リゼットの意見に亜紗は頷き、彼女に代わって言葉を続けた。

「なるほどね。おそらく敵はここを襲撃する可能性が高い。だから、単体での戦闘能力が高く、多くの経験を積んだ逸樹君が最適ね。
 それに、あの腐れ外道はクロの可能性が高い。そして、協力者がいるとするならやはり身内。切り離すのは定石ね。まぁ、使いたくない手だけど、いざとなったら馬鹿兄貴と金魚の糞を人質にもできるしね……。
 でも、それだけじゃ守りに徹しているだけ。後手に回っているだけ。今ここで攻めなければ、私達は確実に負けるわよ」

 亜紗はあえて説明を省いたが、もし次に何か大規模な殺戮が起こるとするならそれは間違いなくこの風城総合病院だと思っていた。この事件の犯人が何を望んでいるにしろ、次は必ずこの場所を狙う。

「ですが、現状では情報が足りなさ過ぎです。先手を取ろうにも、どうすればいいか……。亜紗さんには何か手がありますか?」

 リゼットに問われ、亜紗は軽く首を傾げた。
 確かにリゼットの言うとおり、現状ではあまりに情報が不足しており、有効な手立てを立てることはできない。敵の次の目的がわからなければ、それを阻止するのは難しい。たとえ、静夜を犯人と仮定したとしても、次の行動を予測できない以上は何も打つ手がない。
 先手を打つ、ということは相手の目的や行動をあらかじめ予測した上で、それを封じて自分に有利な状況をつくること。故に、現状先手を打つことは相当厳しかった。
 しかし、亜紗は何かを閃いたかのように微笑んだ。

「……そうね、一つだけ考えはあるわよ? つまらないハッタリだけどね?」

 まるで悪戯を思いついた小悪魔のような微笑。
 何故だか理由は全くわからなかったが、修司はとてつもなく嫌な予感がした。本能が生死の分け目というものを敏感に嗅ぎ分けた。恐ろしく厄介な面倒事を押し付けられる。修司はそんな予感がしていた。
 そして、修司のその予感は見事に当たっていた。無論、本能的に感じ取った生死の分け目というものも恐ろしいほどに的中していた。










「さて、現状と対応策はそれでいいとして、君達は今回の襲撃をどう見る?」

 護国寺の問いに、ベルナール姉妹は顔を見合わせた。
 昨日一六時頃、柊木教会地下にてベルナール姉妹と現地協力員である静夜達は、柊木牧師と同じ悪魔の姿をした何者かによる襲撃を受けた。静夜とリーズの活躍により撃退に成功したものの、襲撃者の逃走を許してしまった。
 同日一七時頃、風明寺跡にて鎌足亜紗と凪修二の二名が、柊木牧師と同じ悪魔の姿をした何者かによる襲撃を受けた。佐渡逸樹と護国寺竜彦の介入によって襲撃を受けた二名の救出に成功するものの、襲撃者の逃走を許してしまった。
 両事件の共通点はあまりに多く、それぞれの事件が発生した時間は一時間しか離れていなかった。これらの事件が無関係とは考えにくいだろう。

「……おそらく今回の二つの襲撃は、同一人物による襲撃だと思います。犯人にとって柊木教会及び風明寺跡は何かしら重要な拠点であり、侵入したことにより人体操作の術が発動したんだと思います」
「柊木教会、風明寺跡の両施設が重要な拠点である具体的な根拠はあるか?」

 リゼットは一瞬、横目で気まずそうに修二の様子を盗み見た。
 彼女がこれから言わんとしていることは、彼にとって残酷な真実であった。だからこそ、修二の前では告げたくない真実であった。

「……風明寺跡にて目撃された三種の魔術、人体操作、呪縛結界、空間歪曲封呪、これらを同時に用いることは、人間の魔力の限界を超えています。通常、魔力不足を補うには、従来からあるが一般的ですが、生贄魔術でまったく別種の複数の術式を組み上げるのは困難です」

 生贄魔術とは、あらかじめ構築された魔法陣上に生贄を配置し、生贄の生命力を魔力に変換する魔術形態の一つである。生命力を魔力に変換する術式のため、生贄にされた者は衰弱もしくは死に至る。もしくは、あらかじめ殺してから陣に配置する場合も多い。
 ただし、生贄が多ければ多いほど大量の魔力を得られるが、魔力の量に比例して術者に対する負担も大きくなる。生贄魔術を用いた後、他の魔術と併用するという方法は現実的に難しい。
 また、生贄魔術で犠牲になった生贄の霊魂は術の成功と共に昇天するが、失敗した場合は生贄の霊魂は現世に残り、術者もしくは魔法陣上に憑く。生贄魔術に失敗してしまった時は、犠牲としてしまった霊魂を完全に浄化しなければ、必ず術者に悪影響を及ぼす。

「また、柊木教会地下、風明寺跡で確認された霊魂消失現象。通常、あれだけの量の霊魂が自然消失することは有り得ません。以上の点を踏まえて考察すると、一つの推論に至ります……」

 リゼットはそこで一度大きく息を吐き、再び修二を横目で見つめた。

「……おそらく、犯人は禁呪・吸魂方陣を会得しており、その忌まれた術式を使用して魔力供給を行ったと思われます。柊木教会及び風明寺跡の両施設には大量の霊魂がある上、人の出入りがほとんどなく隠れ家とするには最適な場所です」
「なるほど。吸魂方陣を会得しているのであれば、両施設は犯人にとって重要な拠点になり得るな。だとするなら、両施設にいた霊魂は吸魂方陣によって魔力に変換され、消滅したと考え……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」

 突如修二が声を荒げて、話に割り込んだ。
 彼の目的を考えるならば、この行動は予想できていた。だからこそ、リゼットはこの事実を言いたくはなかった。

「じゃあ、桜は……、桜の魂は……」
「……おそらく、彼女の魂は吸魂方陣によって魔力に変換され、消滅したと思われます」
「しょう、消滅って……、消滅ってなんだよ!?」
「…………言葉どおりの意味です。魔力に変換された魂は存在そのものが消えてしまったと思われます」
「何だよ、何だよそれはァァァ!?」

 崩れ落ちる凪に、誰も声をかけることができなかった。
 魂の消滅。それがどれほど残酷なことか、魔術に精通していない修二には完全に理解はできないだろう。しかし、それでも一番大切な事実は理解できていた。
 また大切な人を守れなかった。
 一度目は命を、二度目は魂までを殺されてしまった桜。誰よりも大切だった少女を二度も守れなかった修二の心は、完膚なきまでに打ちのめされた。

「……凪、ごめん。こんなことになるなら、貴方を巻き込むべきではなかったわ……」
「……そうだよ、どうして俺を巻き込んだ、亜紗!!
 こんな、こんなことが知りたくてお前に協力したんじゃない!! 俺は、俺はただ桜を……、桜を……」

 それ以上は言葉にならなかった。
 何故、桜が二度も殺されなければならないのか。修二はそんな理不尽な運命を認めたくはなかった。しかし、現実というものはいつも無慈悲で残酷だった。

「凪……」

 亜紗は何か言葉をかけようと口を開くが、結局言葉が見つからなかった。

「……いい機会だ、君はここで退いたらどうだ、凪君?」
「刑事さん……」

 護国寺は厳つい面構えを優しく崩しながら、修二の肩を叩いた。
 できることなら修二にはこれ以上踏み込んでほしくない、それが護国寺の本音だった。しかし、それは修二を思いやっての言葉ではなかった。
 修二がいたとしても捜査上のプラスになるとは考えづらい。加えて、彼は身を守る術もない民間人であり、異端な存在と対等に戦える組織の人間ではない。足手まとい以外の何物でもない。護国寺は、初めから修二を巻き込むことに否定的だった。

「もういいだろう、凪君。君は充分協力してくれた。興野桜の魂が消滅させられたとしたら、これ以上君がこの件に関わる理由はないはずだ。もうここで退くんだ。これ以上踏み込んでも、君にとってプラスになることはないはずだ」
「……それは、わかってるつもりです。……でも」
「我々が君に協力を要請した理由は、柊木教会から消えた少女達の魂を追うのに必要な人材だったからだ。だが、それも今回の件で不要とわかった。これ以上君に期待できることは何一つない。むしろ、君がいることによって負担になるだろう」

 護国寺の視線が一瞬、亜紗の元へ向かう。
 修二がいなければ、亜紗があのような失態を犯すはずがなかった。このまま修二がいても、同じようなことが起こるだけだ。護国寺は暗にそのことを修二に訴えていた。修二もそれに気がつかないほど鈍い訳ではなかった。
 理屈では修二も、自分が足手まといでしかないことをわかっていた。しかし、このままこの事件から退いていいのか。もう一人の自分がそう問いかけていた。

「だけど、俺は……」
「いい加減見苦しいね、この役立たず君は」

 腹立たしげに逸樹が言い捨てた。

「イッキ、言い過ぎよ! もういい加減に……」
「亜紗姉こそ黙っていなよ。この件の責任者はもう君じゃない、僕だ。責任者として、こんな役立たずをこれ以上捜査に加えるのは認めない。こんな奴がいても百害あって一利なしだよ。己の身も守れない無能を庇うなんて、僕にはできない芸当だしね」

 これは明らかに亜紗に対する皮肉だった。
 亜紗は決して言おうとはしなかったが、彼女の傷は修二を庇ったものだった。それを逸樹は見抜いていた。少なくても、亜紗は自分の身は自分で守れる。無様に背中をとられて重傷を負うなど考えにくい。

「力もない、覚悟もない、そんな奴は邪魔なだけだよ」
「……それでも、……それでも、俺は……」

 柊木教会での悲惨な記憶が脳裏を過ぎる。
 誰よりも大切だった少女を守れずに、無残に殺されてしまった。修二は血溜まりに伏す彼女の前で泣くことしかできず、後悔しかできなかった。
 風明寺跡での苦い経験が脳裏を過ぎる。
 もし、あの時逸樹達が来ていなければ、修二は亜紗を守れずに殺されていた。もう二度とあんな思いはしたくないと、桜の亡骸の前で泣いたはずだったのに、結局何もできなかった。守ると言ったのに、また守れずに終わってしまった。

「俺は退かない! 亜紗をこんな目に合わせちまった責任から逃げたりはしない!!」
「……凪」

 修二は立ち上がり、まっすぐに逸樹を睨み返した。
 逸樹は鬱陶しそうに頭を掻くと、不快そうに唸った。彼は何も言わないが、かなり苛立っているのが見て取れた。飄々した逸樹の雰囲気が徐々に剣呑としたものに変わっていった。

「……何度も言うけど、君がいたところで意味はないんだ。いいから消えろよ……。消えないっていうなら、君をこの世から消してやるよ?」

 殺気すらこもった逸樹の声。本気で修二を殺しかねないほど危険な雰囲気だった。
 しかし、それでも修二は退かなかった。恐れながらも、まっすぐに逸樹を睨み続けていた。何の覚悟もなければ、おそらく逃げ出していただろう。しかし、今の修二には亜紗を守るという確固たる想いがあった。その信念が恐怖と抗う力となっていた。
 しばらく無言の睨み合いが続いた。
 修二は今、逸樹の気まぐれで生かされていることを実感していた。逸樹が本気で殺しに来たら、修二など数秒で肉塊に変わる。ここで退かなければ、本当に殺されるかもしれない。修二はそんな恐怖に抗いながら、逸樹を睨み続けた。
 そんな重苦しい沈黙を破ったのは、リゼットの一言だった。

「いいじゃないですか、別に」
「えっ?」
「こちらも人員不足です。大した役には立たないかもしれないですけど、いたとしても無駄になることはないですよ」

 微妙に傷付くフォローだった。
 ついにはリゼットにまで役立たず呼ばわりされてしまい、修二は凹むどころか却って開き直ってしまった。

「僕はこんな足手まといの尻拭いなんてい嫌だよ。君がやってくれるっていうのかい?」
「いいえ、お断りです。そもそも尻拭いなんてする必要なんてあるんですか? 敵に殺されるようなら、殺されればいいんです。余計な手間が省けてちょうどいいじゃないですか?」

 さらりと恐ろしいことを言い放つリゼット。彼女の瞳にも不気味に殺意の輝きが見えた。

「はっ、それがクルキアレのやり方かい? 反吐が出るね。
 でも、まぁ、今回は賛成しておこうかな。この役立たず君、覚悟だけはあるようだし。僕達がわざわざ尻拭いをする必要もないか。殺されるようなら、それまでだし。文句なんてないよね?」
「……当たり前だろ。また目の前で誰かを失うくらいなら、死んだ方がましだ」
「まぁ、君に亜紗姉は守れないと思うけどね」

 逸樹は小さくため息を吐き、修二から眼を逸らした。

「まぁ、人員不足っていうのも確かだし、命の保証がいらないって言うなら、捜査に加えてあげるよ」
「ホントか!?」
「うん。物凄くに気に入らないけど、頭数に入れてあげるよ。個人的にいえば、君なんてさっさと殺されちまえばいい、って思ってるからホント命の保証はしないよ?」
「わかった、死ぬ覚悟はできてる。この事件の終結までいられるなら、それでいい」

 修二の言葉に、逸樹は少し不快そうに眉をひそめた。逸樹はつかつかと修二に歩み寄ると、彼の横っ面を思い切り引っ叩いた。

「勝手に死ぬ気になるな、役立たず!」
「て、てめぇ、いきなり何しやが……ぐほぉ!!」
「やかましい、馬鹿! 君如きが僕に勝てると思ったら大間違いだぞ」

 理不尽だ。何故、この町には人を殴るのに躊躇のない連中ばかりなのだろうか。

「死ぬ覚悟だって? 君みたいな温い生き方しかしてない奴がそんな覚悟したって意味ないんだよ。大体、そんな覚悟する奴に限ってすぐ死ぬ上、使えない」
「お前は最初っから俺を味噌っかす扱いじゃねぇかよ!?」
「味噌っかすでもあるに越したことはないさ。死ぬ気があるなら、石に噛り付いてでも生き続けろ。君なんかでも、死んだら悲しむ人がいるんだよ」

 修二の視線は知らず知らずのうちに一人の少女に向かっていた。
 亜紗は修二と目が合うと、何故か顔を真っ赤にして枕を投げつけてきた。怪我人の割にはなかなかの剛速球で、修二の顔面に見事に決まった。
 投げ付けられた枕を見つめながら、修二はふと疑問に思った。何故、今自分は亜紗を見たのだろう、と。自問してみても、心のうちはまるで靄がかかったよう曇っていて、答えは見つからなかった。

「……あぁ、やっぱり気に入らないなぁ!!」
「ぶほぉッ!?」

 何故か再び逸樹に殴り飛ばされ、修二はそのまま意識を失った。

「さて、役立たず君の処遇が決まったところで本題に移ろうか♪」
「な、何が、『本題に移ろうか♪』、よ!? 凪、動かないわよ! イッキ、あんた加減ってものを知らないの!?」
「やだなぁ、亜紗姉♪ ちゃんと死なないように手加減してるって。僕が本気だったらこんな役立たず君の頭蓋骨なんて粉微塵だよ、てへ?」
「てへ、じゃない! だいたい、あんたは……」
「だってぇ〜、亜紗姉がこんな役立たずばっか贔屓すんだもん! 僕、ちょっと妬いてるんだよ〜」
「〜〜〜」

 亜紗は再び顔を真っ赤にして、花瓶を逸樹に投げ飛ばした。
 しかし、逸樹は余裕で花瓶を避けてしまい、花瓶はそのまま放物線を描いて、気絶している修二に命中した。痙攣していた修二の動きが完全に止まってしまった。

「あぁ〜〜〜!?」
「ぉお〜、ナイスコントロール!!」
「…………」

 亜紗は顔を真っ青にし、逸樹は手を叩いて大はしゃぎ。業を煮やした護国寺が近くにあったパイプ椅子で逸樹を殴り飛ばし、強制的に逸樹を黙らせた。

「さて、静かになったところで本題に移るぞ」
『…………』

 屍のように動かない少年二名を放置し、護国寺刑事は話し出した。

「亜紗、お前は今回の件をどう思う? 先の襲撃者は同一人物だと思うか?」
「……う〜ん、微妙ね。別人物の可能性も捨てきれないし、その意見に関してはノーコメント。でも、柊木教会及び風明寺跡が犯人にとって重要な拠点であることは間違いないと思う。あと、他にちょっと気になることがあるんだけど、今は保留にしとく」
「そうか。それ以外で何か気になることはあるか?」

 護国寺は全体を見渡し(死屍累々としている部屋の隅を除いて)、尋ねた。すると、リーズが挙手しながら、口を開いた。

「……ちょっと気になるんだけど、いい?」
「あぁ、意見を聞こう、リーズ・ベルナール」
「実は前に曹長と隊員二名を連れて、柊木教会の地下に行ったことがあるんだ。でも、その時はあんな奴、現れなかったよ。そっちでも何度かあの教会には足を運んだと思うけど、その時も出なかったよね?」
「そうだな。我々が最後にあの場所に立ち入ったのは、二週間前だな」
「ボク達が最初に柊木教会に行ったのは確か、十日前だったかなぁ? リゼットが行ったんだよね? えっと、報告書もらった覚えがあるんだけど、違ったっけ?」
「うん、そうよ。っていうか、そのくらいはちゃんと把握しなさい」

 仕事上ではベルナール姉妹は、基本的に別行動になることが多かった。その理由として、保有しているスキルの違いもあるが、最大の理由は逃走防止のためである。クルキアレ殲滅部隊の戦いは苛烈にして過激。あまり例は多くないが、逃走者も少なからずいる。そうしたことを防止するために、家族同士は別行動をさせるようにしているのだ。

「あ、あははは……。それで、最後に行ったのは三日前。ちなみに、この日の夜に曹長と隊員一名が、その翌日には隊員二名の行方がわからなくなったの。だから多分、犯人が柊木教会や風明寺跡に何か仕掛けたのは、この日以降ってことだと思う」
「……我々の方で行方不明者が出たのも、ちょうどその頃だな。しかし、何故その時期になって犯人は動き出したのだ? 我々に、クルキアレ、二つの戦力が集結した時期に動き出した理由は何だ?」

 事件の発生時期についての疑問点というなら、他にもある。
 柊木牧師が起こした女子高生誘拐殺人事件は、柊木楓死後二ヶ月後に発生した。この事件の発生時期も不審といえば不審だ。
 柊木教会、風明寺跡での襲撃事件もほぼ同時刻に発生した。この発生時刻に関しても作為的な何かを感じられる。

「多分、準備さえ整えば私達なんか物の数じゃないってことじゃない?」
「ふむ。それだけならいいが、もしこの時期に動き出すことに意味があるとしたら……」

 事件発生時期の不審点に関しては、全く推論が立てられなかった。
 しかし、護国寺はこの事件発生時期の不審点が一連の事件にとって重要な意味を持つような気がしていた。そして、事件発生時期の謎を解くことが全ての事件を解決に導く鍵のように思えた。

「今のところ事件発生時期に関しては全くわからないわね。それより、私はが柊木教会に行った時のことをもう少し聞きたいんだけど」
「そう言われても、特に何もなかったよ? が三人もいて何も見つけられなかったんだから、多分つい先日まで柊木教会には何もなかったんだよ」
「全員行ったの? 確か、貴方達を加えると六名だったわね、クルキアレは?」
「そうだよ。リゼットとハミルトン、チャールズとエドワルド、ボクとレニ、それぞれチームを組んで一度以上は柊木教会に行ったよ」
「その中では?」
「リゼット、エドワルド、レニ。ちなみにエドワルドが曹長で、他二人は一等兵。戦闘員とは常に一緒に行動していたし、見落としなんて絶対にないよ」
「なるほど、わかったわ。ありがとう」

 亜紗は満足したように微笑むと、枕のないベッドに突っ伏した。彼女の背中はこれ以上話しかけるな、と無言で語っていた。

「そろそろ疲れたわ。今日はこれで終わりにしましょう? 私、もう眠いわ……」

 ベッドに突っ伏したまま、亜紗はそう提案した。

「……そうだな。怪我人に無理をさせる訳にもいかないな。今日のところはこれで終わりにするか」
「そうですね。リーズもゆっくり休ませたいですし、私達は移動しましょうか、護国寺さん?」

 重傷を負った片割れの頭を優しく撫でるリゼット。彼女もこれ以上の話し合いは実りがないと判断しているようだった。
 これ以上の話し合いは不毛と判断した護国寺は最低限必要な連絡事項を全員に伝えた。そして、この場は散会するとこととなったが、護国寺は隅で動かなくなっている屍二人を見て溜め息を吐いた。リゼットに男二人を運ばせる訳にもいかないので、彼等を運ぶのは護国寺以外にいない。
 護国寺は渋々、修二と逸樹を抱えて病室を出て行った。リゼットも彼に続いて病室を後にした。残ったのは怪我で動けない亜紗とリーズだけだった。

「……さて、疲れたし、ボクももう寝よ〜っと」
「…………」

 横になった途端に寝息を立てるリーズ。恐ろしく寝付きがいい。
 しかし、彼女が黙っていてくれている方が亜紗にとっては好都合だった。亜紗はベッドに突っ伏しているが、まだ眠った訳ではなかった。むしろ、眠気など欠片もなく、脳内は清流のように滞りなく巡っていた。
 今回の話で、ある程度推論がまとまってきた。特にある人物の発言が亜紗の考えを固める決め手となった。

(もし、私の推論どおりなら相当に厄介ね……。下手に動いて感付かれたら一巻の終わりだし、完全な包囲網を組まなければ逃げられる。どちらを潰すではなく、どちらも潰す方法を考えないと……)

 幸い、亜紗には心強い味方がいた。
 怪我で動けない自分にできることは、知略を以って敵の策略を暴き、味方を敵の懐に正しく導くこと。今はまだ戦うことはできなくても、頭は充分に回っている。
 それに、亜紗にはまだ誰も得ていない情報を持っている。彼女のもう一つの視界には、未来を先視することができる。未来の情報を持つアドバンテージは大きい。
 結果を知っているからこそ、打てる手がある。例えば、凪修二を引き込んだのも未来を知っているが故に打った手の一つだ。

「さて、あとはあいつ頼みか……」

 亜紗はすでに出来得る全ての手を打ち終えている。
 彼女が巡らせた策略はすでに他の人物の手に委ねられていた。その身を犠牲にした一手は敵の喉元深くに突き刺さり、最後の一突きはその人物に任せている。いや、その人物でなければ成しえないのだ。
 今までは一方的に先手を取られていたが、これからは違う。反逆の狼煙はすでに上がり始めていた。しかし、まだそれに気付いている者はほとんどいない。
 ようやく悪魔の尻尾を掴めるところまで至れた。真の勝負はこれから始まる。







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