第四章 悪魔の尻尾 2




第四章 悪魔の尻尾 2

作:遠野 秀一 




  2.

 拍子抜けするほどに何事もなかった。
 風明寺跡の調査が空振りに終わった静夜は苛立ちながら、次の目的地に向かっていた。
 鎌足神社。そこがリゼットとの待ち合わせ場所に指定された場所だった。しかし、何故彼女がその場所を指定したのかは不明だった。鎌足亜紗が鎌足神社を待ち合わせ場所に指定するのならともかく、リゼット・ベルナールが鎌足神社を指定する理由はない。
 考えられる理由はいくつかある。しかし、もっとも考えられる理由は、ベルナール姉妹は鎌足神社の関係者と協力関係にある、ということだろう。そして、おそらくその協力者とは昨日リーズとほぼ同時刻に病院に搬送された鎌足亜紗。

「まさか鎌女の住処に行くことになるなんてな。反吐が出る」
「……静夜は、本当に鎌足が嫌いだね」
「うぜぇんだよ、あの鎌女は。奴だけが未だに俺にガンつけてきやがる。しかも、この俺を鬼畜やら腐れ外道やらと舐めたことを言いやがる」
「……静夜は、本当は凄く優しいのに」

 風間静夜という人間をある程度知っている人物なら、今の司の発言を全身全霊で否定するだろう。もしくは、司の正気を疑うだろう。

「馬鹿か、貴様は。俺をそんな風に言う馬鹿はお前か、楓くらいだ……」
「……姉さん。どうして、僕や静夜を置いて逝ってしまったんだろう……」
「…………」

 静夜は立ち止まり、天を仰いだ。
 失われた最愛の少女、柊木楓。彼女が亡くなったのは確かに事故であった。しかし、その事故に至るまでの経緯には、明確な悪意が存在している。
 かつて、彼はベルナール姉妹に真実を知りたいが故に捜査に協力する、と宣言した。しかし、真実を知った後、彼はどうするのだろうか。

「……ねぇ、静夜。奴等に『紡命の書』を渡してよかったの?」
「構わんさ。所詮は写本だ、何の役にも立たん。実際、あの写本に書かれている程度の術式では楓は生き返らない。せいぜい出来損ないのゾンビができるだけだ。それでは何の意味がないだろうが?」
「……そうだね」
「……それに、あの写本の内容はすでに暗記している。もう不要なものだ」

 悪魔は哂う。
 何故なら、悪魔の廻す歯車は狂いなく時を刻み続けているのだから。










 風は静かに吹き抜けていく。
 夕暮れの境内に吹き込む風は身を凍らせるような冷たさだった。
 鎌足神社の石鳥居。リゼット・ベルナールはそこで静夜を待っていた。時間どおりに静夜達が到着すると、リゼットは満面の笑みを浮かべて彼等を迎えた。

「馬鹿か、貴様? わざわざこんな寒空の下で待つことはないだろうが?」
「こんな寒空の下で待っててあげたんですから、優しい言葉の一つでもかけてくれてもいいんじゃないですか?」

 静夜の嫌味を軽い笑顔で受け流すリゼット。
 最近になって彼女はようやく静夜とのやり取りのコツを掴んできた。
 静夜は誰に対してでも冷淡で、毒しか吐かない。しかし、下手に逆らって反抗さえしなければ、特に危害を加えてはこない。逆に言えば、反抗すれば確実に危害を加えてくるのだが。

「リゼット、一つ聞いていいか?」
「何ですか?」
「クルキアレ殲滅部隊と、『白の派閥』は敵対関係だったはずだが? 何故、協力し合っているんだ?」
「…………」

 リゼットは半ば呆れたように静夜を睨んだが、しばらくして視線を逸らして大きな溜め息を吐いた。

「……本当に、静夜君は何でも知ってますね? 確か、どこの組織にも所属していないですよね?」
「最低限、これくらい知っていなければ、貴様等に殺されるだろうが」
「…………」

 静夜の皮肉にリゼットは何も答えなかった
 実際、クルキアレ殲滅部隊が始末する魔術師や悪魔はいずれの組織に未所属であることが多かった。リゼットもそうした相手とばかり戦ってきたのは事実だった。
 組織に所属することを拒み、自由を求める者は少なからず存在する。静夜の家系、風間家は典型的なフリーの魔術師一族。しかし、そうした一匹狼には組織の庇護はなく、クルキアレ殲滅部隊にとっては最高の獲物だった。

「それにしても、さすがはだな。俺の家系が組織に未所属だということは確認済みだったか。全く油断も隙もない」
「そのセリフはそっくりそのままお返しします。それより、中に入りましょう。『白の派閥』の方々が待っていますよ」

 リゼットの案内により、静夜達は鎌足神社の境内にある神主一家の住居に向かった。
 荘厳な鎌足神社本殿の脇を抜けると、雑木林の向こうに古めかしい屋敷が見えた。映し世からひっそりと隠れるように佇む古屋敷こそ鎌足邸。『白の派閥』の風城町での拠点となっている場所。
 『白の派閥』とは、静夜達のような魔術師や特殊能力者を世間から隠匿し、保護するために作られた異端保護団体のことだ。派閥、という呼称が用いられている理由は、本来全く別の目的を持った清流会という組織の一部であったためだ(清流会についての説明は長くなるので、ここでは割愛する)。しかし、現在では『白の派閥』としての活動が大きくなったため、組織イコール『白の派閥』という形式になっていた。
 異端を殺すための組織、クルキアレ殲滅部隊とは白の派閥の性質上、現在も諍いが耐えない間柄である。しかし、この二つの組織は全面的な抗争になったことは一度もなかった。『白の派閥』は世界の半分以上の異端者及び能力者、そして人ならざる存在が所属している。組織としての戦力差は歴然であり、局地的な抗争はあれども全面的な戦乱には発展していなかった。
 白の派閥、クルキアレ殲滅部隊、性質こそ違えども二つの組織の根幹にある目的は共通であった。異能者の隠匿、その目的を果たすための方法が保護、抹殺に分かれているだけなのだ。
 そのため希少なケースではあるが、今回のように二つの組織が協力し合うこともあった。

「やぁ、よく来たね。災禍の風を支配する風間家の後継者」

 鎌足邸で静夜達を迎えたのは、佐渡逸樹だった。
 静夜と逸樹はこの時が初対面だったが、すでに相手の存在についてはある程度認識していた。風間家は魔術師の旧家であるし、逸樹は呪われた血を引く者の末裔。それぞれ独自に危険感知能力は長けていた。
 こいつは危険だ。出会った瞬間、静夜と逸樹は互いにそう感じていた。

「出迎えご苦労。貴様が『白の派閥』の代表か?」
「あぁ、そうだよ。清流会白の派閥、佐渡逸樹。
 本来なら、今回の件は風城町守護である鎌足家が一任されていたんだけどね、今回の事件に潜むモノの危険性に気付いた鎌足家当主の判断で、御霊衛士である僕が招集されたんだ。まぁ、その当主は今、病院のベッドの上で動けないんだけどね。
 とりあえず、鎌足家当主に代わりに歓迎するよ、風の魔術師。一応、君の力には期待しているよ。……まぁ、警戒もしているけどね」

 逸樹は不敵な笑みを浮かべ、静夜達を鎌足邸に招き入れた。
 鎌足邸は外観も相当な年代物であったが、内装もかなりの年季が入っていた。掃除が行き届いているようで、古きよき屋敷の美しさが見て取れた。
 静夜達が通されたのは、鎌足邸の深奥にある客間だった。およそ十五畳の広さがある客間には、凪修司、護国寺竜彦がすでに座していた。
 凪修司の存在に司は少なからず驚いた。最近、亜紗と修司が一緒にいることは知っていたが、ここまで踏み込んでいたとは思ってもいなかった。しかし、ふと隣の静夜を見ると、彼はただ愉快そうな笑みを浮かべていた。

「役立たずが一名いるようだが、あれは必要なのか? 始末しとくべきではないか?」
「あははは、そうだね。正直、僕としては始末したいんだけどねー」

 とてつもなく恐ろしいことを、さらりと言う静夜と逸樹。
 この二人が言うとまるで冗談に聞こえない。むしろ、本気としか思えなかった。修二は軽い冷や汗をかきつつ、恐ろしい二人から視線から逃れるように俯いた。

「まぁ、三人共座ってよ」

 逸樹に促され、静夜達は座布団に腰を下ろした。
 彼等が座るのを確認すると、禿頭の刑事護国寺が口を開いた。

「私は県警捜査一課の護国寺だ。今回のような異能な存在が関わる事件を一任される立場にある。しかし、今回の事件に警察の介入があるのは事件解決後、すなわち白の派閥の隠蔽工作後となる。よって、警察の協力は仰げないということ初めに説明しておく」

 異能の存在隠蔽。それがクルキアレ殲滅部隊、白の派閥共通の目的であった。故に人員が足りないからといっても、警察に協力は仰げなかった。
 静夜達もそれは理解していたおり、異論はなかった。彼等は黙って護国寺の話に耳を傾けていた。

「これまでに発生した柊木教会女子高生誘拐殺人事件、ベニーニ枢機卿殺人事件、柊教会傷害事件、風明寺跡傷害事件、そしてこれから起こるであろう事件を含め、以後統合して『亡霊牧師事件』と呼称し、先に柊木教会及び風明寺跡に現れた悪魔姿の男を以後便宜上『亡霊牧師』とする。
 『亡霊牧師事件』の最高責任者は本来、風城町守護である鎌足家当主であったが、先日の襲撃により負傷し、行動不能となった。その間、組織より派遣された佐渡逸樹を一時的に『亡霊牧師事件』の最高責任者としている」
「まぁ、そういう訳なんで、これからよろしく頼むよー」

 司は目の前にいる少年が『亡霊牧師事件』の最高責任者だということに若干驚いていた。自分と大して年の違わない逸樹が、護国寺刑事を差し置いて責任者となっている。その事実が不思議だった。
 佐渡逸樹。この少年にいったいどれほど実力があるというのだろうか。司にはわからなかった。しかし、静夜はその事実についてまるで気にも留めていないようだったので、司はそれ以上考えるのを止めた。静夜が問題にしないことは、司にとっても問題にはならない。だから、静夜が気に留めないことは、司も気に留めなかった。

「さて、風間君。最初に確認しておきたいんだけど、人体操作、呪縛結界、空間歪曲封呪、これらの魔術を使うことはできるかい?」

 いずれも風明寺跡で確認された敵方の魔術。
 それらを使えるかと確認するということはすなわち、お前が犯人か、と暗に聞いているのに等しい。逸樹は亜紗ほど静夜犯人説に固執していなかったが、それでも静夜が油断できない人物だと判断していた。

「当然だ、全て完璧に使える。人体操作ならば、三つ以上の命令を付加できる。呪縛結界と空間歪曲封呪ならば、同時に使える」
「なるほど。なら、何かしらの魔力増幅器があれば、全て同時に使えるね?」
「あぁ、無論だ。加えて言うなら、吸魂方陣についての知識もある」
「それはつまり、あの風明寺跡の悪霊を魔力に変換する術を知っていたってことかい?」
「そのとおりだ。つまり、風明寺跡の一件はやろうと思えば俺でも可能だ、ってことだ。聞きたいことは以上か?」
「うん、充分過ぎるよ」

 静夜は何の躊躇もなく、風明寺跡の一件を実行可能だ、と言い放った。
 リゼットは以前から感じていたが、今の静夜と逸樹のやり取りで確信した。静夜は自分自身に容疑を向かわせるよう行動している。表向き容疑は否定しながらも、実際彼の発言は全ての容疑を自身に集めているようだった。
 そこに何の意図があるのか。幾つか推論を立てるが、結局リゼットには答えを出せなかった。

「吸魂方陣は禁呪のはずですけど、どこでそんな知識を?」
「馬鹿か、貴様? 一定レベルの魔術師は全ての術式を独自に組み上げるものだ。俺レベルともなれば、吸魂方陣程度の術式くらい自身で組める」

 魔術師として適性がある者なら、形式化された術式を用いるだけで魔術の行使が可能だ。しかし、形式化された術式では当然限界もある上、用途が限定されている。それに加えて、術者と術式との適合性も加わる。
 つまり、形式化された術式は、成功率そのものは高くても効果が期待できない。
 一定水準に達した魔術師ならば、己に適合し、なおかつ己の欲望を満たすための術式を自らの手で組み上げるものだ。また、自らの手で術式を組めない者は魔術師として半人前に過ぎないのだ。

「あはははは、禁呪レベルの術式を簡単に組み上げるなんて頼もしい限りだねー」
「わ、笑い事じゃないですよ……」

 逸樹は大笑いしているが、リゼットは全く笑えなかった。
 禁呪とは、さまざまな定義が為されているが、基本的には魔術師の間で禁忌とされる異端中の異端の術式。外道すらも忌み嫌う禁断の魔術。それが禁呪。
 無論、クルキアレ殲滅部隊にとって、もっとも許せぬ異端の存在である。白の派閥にとっても規制せねばならない存在だった。
 それを平然と組み上げられる静夜の能力は、両派閥にとって驚異的なものと認識されるべき存在だった。

「一応聞くけど、使ってないだろうね?」

 逸樹の言い方はまるで、十代の若者に飲酒喫煙はしていないか、と聞いているような軽いノリだった。リゼットは思い切り不快そうに逸樹を睨んだ。

「普通の生活をしている限り、使う必要もないだろう? あんなもの、まともにやるには面倒過ぎる。無駄な労力を使ってまで、やる必要はない」
「まぁ、それもそうだね。
 じゃあ、そろそろ捜査の話に移ろうか? 護国寺、後は頼むよ」

 逸樹はそれ以上追及せず、次の話に移った。
 本来なら、禁呪を扱えるレベルの魔術師を放置していいはずがないのに。もっとも、それを言うなら、この場で自身が禁呪レベルの魔術師と告白する静夜の行動も不審だったが。

「……我々白の派閥とクルキアレ殲滅部隊は一連の事件を重く受け止め、事件早期解決のために特別捜査班を設置することを決定した。それに伴って、現地協力員である君達も特別捜査班の一員として、我々の指揮下に置かせてもらう。異議はあるか?」
「……指揮下、ね。気に入らないな。じゃあ、俺達の上に就くのは誰だ? 貴様か、グルグル眼鏡?」

 静夜は若干不快そうに逸樹を睨んだ。

「いや、直接逸樹の指揮下に就くのは、私と凪修二君だけだ」

 今度は修二が不快そうに逸樹を睨んだ。

「君と柊木司君、それとこの場にいない風間陽平君の上長は、クルキアレ殲滅部隊の隊長リーズ・ベルナール氏だ。現在、彼女が行動不能なため、指揮権はリゼット君にある」
「なるほど。……心底気に入らないが、この際仕方ないな。
 だが、こちらからも条件を出させてもらうぞ。いいな?」

 拒否は許さない。静夜の目はそう語っていた。
 彼の言う条件とは、どのようなものだろうか。現状、戦力不足は否めない。そのため、今回の捜査には静夜の能力が必要不可欠だった。たとえ、彼が信用できない人物であっても、だ。

「……クルキアレ、白の派閥、いい加減貴様等の真の目的を話してもらおう」

 絶対零度の瞳がその場にいる全ての者を射竦めた。
 リゼットと護国寺は彼の瞳に威圧され、呼吸すらも忘れてしまった。修二と司は言葉すら発せぬほどに竦んでいた。逸樹だけは不敵な笑みを浮かべているが、その目には今までのふざけた雰囲気は消えていた。

「貴様等は柊木牧師が事件を起こした段階で、こうなることが予想できていたんだろう? もしくは、この事件よりも優先して解決しなければならない何かがある。違うか? でなければ、クルキアレなんて物騒な連中が動くはずがない。
 クルキアレ殲滅部隊とは、異端者を殺すことに特化した組織。いや、殺すためだけに存在している組織といっても過言ではないな。その貴様等が動くということは始末しなければならない何者かがいるということだ。しかし、柊木牧師亡き今、貴様等が始末しなければならない者はいないはず。それでも貴様等が動くということは、この町のどこかにまだ殺さなければならない危険な存在がいるということだ。そして、その存在はベニーニの一件に深く関わり、先の楓の事故にも関わりがあるのだろう」
「……貴方には隠し事ができませんね。身内の恥なので、できることなら言いたくはなかったんですけど……。……はぁ、言わなければ何をされるかわかったものじゃないですね」
「そうだな。貴様如きを屈服させる方法なんて百以上ある。それをしないだけ、ありがたく思うんだな」
「貴方の冗談は全て実現可能っぽいんで、ホント笑えません」

 静夜ほどの魔術師ならば、リゼットを屈服させる百以上の方法をすでに会得しているだろう。ましてリーズという最大の守護を失ったリゼットには、静夜に抗う一つの方法すらもない。
 おそらく静夜はクルキアレの狙いを正確に推察しているだろう。故に、静夜は最初からクルキアレに接触してきたのだろう。彼の目的とクルキアレの目的は限りなく近いのだから。また、静夜はその目的を果たすためなら、どんな汚い手段も厭わないはずだ。
 今ここで静夜の反感を買えば、自分がどんな悲惨な目に遭うかわからない。リゼットは大きな溜め息を吐いて、軽く頭を振った。結局、静夜に逆らえるはずがなかった。

「……静夜君、貴方の言うとおり私達の真の目的はある存在の抹殺にあります。そして、その存在を討つため、現在白の派閥と協力関係にあります」
「貴様等が恥も外聞も捨てて白の派閥に協力するってことは、奴等がいるということだな。おそらくClass of Apocryphaの……」
「……ホント、貴方には敵いませんね。しかも、Class of Apocryphaであることまで推理していたなんて……」

 Class of Apocrypha、外典に記されし禁忌の存在。
 ただし、ここで指し示す外典とは便宜的な呼び名であり、聖書や偽典なども含まれている。記されている書は関係ない。異端であり、禁忌であり、殺さなければならない絶対悪であるということが重要なのである。この言葉は本来、異端の存在を表す単語であるため、聖書や正典を用いなかったのである。
 元来、クルキアレ殲滅部隊はClass of Apocryphaを討つために生まれた。最大にして最悪の敵を指し示す言葉、それがClass of Apocrypha。

「……な、何なんだ、その……く、クラス・オブ・アホクリファ……って?」
「アホは貴様だ、凪。Apocrypha、つまりは外典だ。簡単にいえば、正典に含まれなかった聖書といったところか?」
「で、何なんだよ、それは?」

 修二は聞き覚えのない単語に首を傾げていた。
 彼はクルキアレ殲滅部隊や白の派閥に属している訳でもなければ、優れた魔術師でもない。Class of Apocryphaについての知識があるはずもなかった。
 静夜は面倒臭そうに溜め息を吐くと、リゼットに視線を送った。どうやら静夜は自分で説明する気はないようだった。

「Class of Apocrypha、外典に記されし禁忌の存在。
 旧き叡智と秘術を知る者、神の意志に逆らいし大悪魔です」
「……大悪魔、だって?」
「そうです、悪魔です。何かの比喩や蔑称などではなく、真の『悪魔』です。
 ……凪君にはまず、『悪魔』がどういった存在かを説明しないといけませんね。そもそも悪魔とは、人間に寄生する思念と魔力だけで構成された精神生命体の一種です。そうですね、イメージ的には幽霊や悪霊に近いかもしれませんね。ただ、私達が定義する『悪魔』は、人間に寄生した状態に限ります。もしくは、一定のレベルに達した精神生命体を『悪魔』と定義することもあります。
 『悪魔』を含め、一つの生命体の器の中に、複数の精神、思念体及びに魔力を有する存在を『思念統合体』と言います」

 難しい話に修二は大きく首を捻った。リゼットの説明を噛み砕き、修二は自分の中で考えを整理した。彼はずば抜けて利口という訳ではないが、人並に考える力は充分にあった。

「えっと、つまり『悪魔』ってのは人間に寄生した精神生命体……って奴で。『悪魔』を広義的に言うと、『思念統合体』って分類になるのか?」
「そうですね。『思念統合体』という分類でいうなら、私やリーズ、それに佐渡逸樹君もそれに当てはまります」
「へっ? ……えぇ? ぐほぉッ!?」

 修二は驚きのあまり一瞬、呆けて間抜けな声を上げてしまった。思わず隣にいた逸樹の方へ振り向いたが、その瞬間に修二は逸樹に殴られていた。

「『思念統合体』っていうのは、とっても広義的な意味をもつ言葉なんだよ。クルキアレの定義する『悪魔』ってのは侵食型の思念統合体の総称になる。だけど、僕や金髪姉妹は潜在型の思念統合体に該当するんだ」
「ほぅ、なるほど。それで、今俺を殴る理由の説明はないのか? えぇ?」
「君の面は見ているだけで殴りたくなるんだよ」

 拳を震わせ、逸樹を殴りたい衝動を必死に抑える修二。目の前にいる少年の性格は理不尽だったが、それ以上に強さが理不尽だった。殴り合いで勝てる見込みはなかったので、腹の底から湧き上がる怒りを何とか黙らせた。

「『思念統合体』の分類について説明しますと一日じゃ終わらないで、簡単にざっくりと説明しますね。『思念統合体』というのは先も言ったとおり、一つの生命体の中に二つ以上の霊的エネルギーが宿った存在を総称した呼び名です。
 先ほど説明した『悪魔』は思念と魔力だけで構成された精神生命体で、人間を含めて肉体ある全ての生命体に寄生することができます。そして、その器となる生命体の意識を『侵食』して肉体の支配権を奪う能力を持っています。故に、『侵食型思念統合体』と呼ばれることがあります」
「ちなみに、あれはクルキアレ独自の分類だから。白の派閥はもっと細かく複雑に分類してるよ」

 先に述べられたとおり、『思念統合体』というものの定義は非常に広い。これは『思念統合体』という存在が非常に曖昧であり、様々な形をもつ存在だからだ。加えて、思念統合の形態がいくつもある者もおり、一つの括りで囲める者が少なくないのだ。同じ『悪魔』でも、クルキアレと白の派閥では分類が異なる場合もある。

「……その『悪魔』にとり憑かれたら、その人間は完全に『悪魔』の人格になっちまうのか?」

 修二は少し気になることがあり、リゼットに尋ねた。

「いいえ。『悪魔』は非常に狡猾で、いきなり寄生体の人格を破壊することはありません。普段は寄生体の意識に潜み、必要な時のみ肉体を支配します。だから、たとえば凪君が悪魔にとり憑かれていたとしても、凪君自身がそれに気付くことはありません、絶対に。何故だかわかりますか?」
「……俺が気付いた頃には完全に人格が破壊されているからか?」
「概ね正解です。『悪魔』は侵食型と称されるように、凪君自身の意識が悪魔と混同してしまうので、凪君自身の意識=『悪魔』となってしまうんです」

 通常、『悪魔』は寄生虫など同様に宿主が寄生されている自覚症状は起こらない。しかし、ごく稀に『悪魔』の自我侵食に気付く者も現れる。もしくは、『悪魔』自身が宿主に対して浸食を知らせる場合があった。
 自我侵食に気付いた人間はその恐怖と混乱から、自ずと精神を崩壊させる。これは自我侵食を容易に行うという目的もあるが、多くが『悪魔』の個人的な趣味によって行われる遊びの一つだった。一般的に言われる悪魔憑きは、心理的もしくは精神疾患などによるものがほとんどであるが、ごく稀に本物の『悪魔憑き』も存在していた。
 『悪魔』の存在は、の能力をもってしても発見することは難しかった。そのため『悪魔』を見つけるには、俗に言われるような悪魔憑きを無差別に調べて回るか、よほど高位なでなければ発見できなかった。

「そ、そりゃあ、まさにホラーだな……。まぁ、実際、ホラー映画の主役は『悪魔』だしな。それじゃあ、Class of Apocryphaってのは……」
「旧き叡智と秘術を知る者、外典に記されし禁忌の存在です。
 肉体を持たない『悪魔』には寿命というものが存在しません。紀元前より存在し、数千年もの時を経てもなおあらゆる命に敵対する邪悪な存在。今は失われてしまった旧き叡智と秘術を知り、あまねく命を侵す悪意。決して人間と共にあることのできない『大悪魔』こそ、Class of Apocryphaと呼ばれる存在なのです。
 そして、今この町にClass of Apocryphaの『大悪魔』が潜んでいます。私達の狙いは、その『大悪魔』を討伐することです」

 リゼットは凪に向けていた笑みを消し、静夜の方へと振り向いた。
 ようやく本題に戻る。クルキアレ殲滅部隊、白の派閥の真の目的は風城町に潜むClass of Apocrypha討伐。しかし、静夜はすでにそこまで推測していた。彼が知りたいことは、そんな表面的なことではなかった。
 この事件の発端となった真実。いや、柊木楓を死に至らしめた事故の発端となった真実。静夜が知りたいのは、ただそれだけだった。
 初めから彼の目的はただ一つ、柊木楓の死の原因となったあらゆる因果を暴くことだけだった。

「リゼット、Class of Apocryphaをこの町に引き入れたのは奴なのだろう?」
「……えぇ、ご推察通りです。ヴァーレリオ・ベニーニ枢機卿、あの方には数年前からClass of Apocryphaに憑かれている疑いがあったんです」










「つまり早い話、ベニーニに憑いていた『悪魔』が意図的に楓を殺したって言うのか?」

 温厚な陽平にしては珍しく、声に怒りが満ちていた。
 リーズの見舞いに来ていた陽平だったが、そこで聞かされた楓の事故の真実に驚愕していた。陽平が楓の死を受け入れられたのは、あの事故が不慮なものだと思っていたからだ。もし、あの事故が意図的に起こされたものだというのなら、楓の死を、楓を殺した者を許せるはずがなかった。

「……多分だけどね。柊木家の人間は潜在的にかなり高い魔力を持つ家系のようだし、新たな宿主として目をつけられる可能性はあったと思う」

 ガンッ!!
 感情を抑えきれず、全力で壁を殴り付ける陽平。
 彼がここまで感情をあらわにするのは本当に珍しかった。何があろうとも笑顔を絶やさない彼が、ここまで憎悪と殺意を人前に晒したことは今までなかった。これほどまで怒りを爆発させた陽平は、弟である静夜ですら見たことがなかった。

「……きっと、あの腐れ外道は気付いてたんでしょうね。柊木姉が殺されたってことに……」

 陽平は壁から拳を下ろし、亜紗の方へ振り向いた。

「多分、それだけじゃないと思うぜ」
「えっ……?」
「……さっき、リーズから『悪魔』の説明を受けた時に思ったことがあった。もし、そんな悪魔がこの町に来て、新たな宿主を探すとしたら、絶対に静夜を選ぶなって……」
「「ッ!?」」

 陽平に指摘され、二人は初めてその可能性に気付いた。
 柊木楓の事故の裏に『悪魔』の存在があったため、一番可能性の高い選択を無視してしまった。静夜は優れた資質を持った魔術師である。『悪魔』にとって優れた魔術師ほど宿主に適した存在はいなかった。
 それに、事故現場に立ち会っていない彼女達だからこそ気付かなかったことがあった。陽平は『悪魔』が楓を宿主にするためでなく、全く別の理由で楓を殺したと確信していた。

(あの馬鹿、気付いていたなら話せよな! 確かに頼りねぇ兄貴だが、辛い時ぐらい弱さ見せろよな! 何でも一人で抱えようとしやがって!)

 あの事故現場で起こった真実、それに気付いた陽平はようやく静夜の目的が見えてきた。
 静夜の目的はやはり復讐。彼は自らを囮にして、楓を殺した『悪魔』の尻尾を掴もうとしている。楓の仇を取るためならば、静夜はどんな手も厭わないだろう。
 同時に、陽平の中にも黒き憎悪の炎が燃え上がった。彼にとっても楓は掛け替えのない親友であった。それを理不尽に奪った『悪魔』を許せるはずがなかった。

「陽平。それで、さっき言っていた『多分、それだけじゃないと思うぜ』の続きは?」
「……お前等はあの事故現場を知らないから、楓を宿主にするために殺すなんて発想ができるんだよ。俺は、あの悲惨な事故現場を知っているからこそ、そんな風には思えない」

 脳裏に蘇るあの日の悪夢。
 二度と忘れられない血溜まりの光景。
 永遠に失われてしまった彼女の眩しい笑顔。

「あいつの……、楓の体は見る影もないくらいにグチャグチャに潰れてたんだ。まともに考えて、あれに宿るなんて考えられない。『悪魔』がどんなものかはわかんねーけど、寄生するっていうなら宿主の体はある程度健常な方がいいんだろう? あの状態の楓はとても寄生するのに適しているとは思えない。
 もし、『悪魔』が本当に楓に寄生するために、あの事故を起こしたって言うなら、もっと他の方法があったはずだ。仮にそれ以外の方法がなかったとしても、あそこまで遺体が潰れるほどの事故は起こさないはずだろう?」

 陽平の推理は筋が通っており、とても間違っているとは思えなかった。
 静夜の兄だけあって、陽平は基本的なスペックは高い。普段の考えなしの行動に誤解されがちだが、陽平はかなり頭がいい。もっともその能力は学力にはあまり反映されていないようだったが。

「……だったら、何で『悪魔』は柊木楓を……?」

 ガンッ!!
 底知れぬ怒りを爆発させるかのように、陽平は全力で壁を殴り付けた。
 そうやって少しでも怒りを吐き出さなければ、今にでも狂ってしまいそうだったから。楓を殺した『悪魔』に対する殺意が他の者をも傷付けてしまいそうだったから。
 静夜は必ず楓を殺した『悪魔』を殺すだろう。たとえ、『悪魔』がどこまで逃げようとも、決して逃しはしない。地の果てまでも追いかけて、必ず殺すだろう。

「あの時楓の側にいた静夜を動揺させて、無防備な状態にさせるためだよ! いくら悪魔以上に性格が歪んでて陰では魔王呼ばわりされている静夜でも、楓を目の前で殺されれば動揺する、抜け殻みたいに気力を失う! 『悪魔』の狙いは、そうして無防備になった状態の静夜に寄生することだったんだ! そのために……、そんなふざけたことだけのために、あいつの目の前で楓を殺しやがったんだ!!
 だからこそ、静夜は楓を殺した『悪魔』を許さない! たとえ、どんな手を使おうとも、必ず楓の仇をとるつもりなんだよ!!」

 そして、陽平もまた同様に楓を殺した『悪魔』を許すつもりはない。どんな汚い手を使おうとも、必ず殺す。楓を殺した『悪魔』は彼等兄弟の手で殺さなければならない。
 柊木楓は、風間兄弟にとって誰よりも大切な存在だったのだから。

 天使は嘆く。
 愛する人の苦しみを救えぬと涙を流していた。







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