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第四章 悪魔の尻尾 3 作:遠野 秀一 3. ――静夜って本当に捻くれてるよねぇ? 私がいてあげないと人の道外れちゃうね、絶対に。 楓ほど静夜を理解していた者はいなかった。 柊木楓はよく言えば無邪気で明朗闊達な、悪く言えばお転婆で破天荒な少女だった。悪魔のように性根の曲がった静夜相手にさえも全く物怖じせず、どんな相手にも笑顔を振りまいていた。彼女はどんな時でも静夜達の中心にいて、誰からも愛されていた。 故に、彼女の死が全ての悲劇の引き金となった。 ――あァ? んだと、コラ? 兄貴と同じ目に逢ってみたいのか、楓? 静夜は凶暴にして凶悪、性格は邪悪に歪んでいる。 しかし、楓に対する愛情だけは真摯で純粋なものであった。 誰よりも柊木楓を愛し、乱暴な態度とは裏腹に誰よりも彼女を大切にしていた。 ――それは謹んでお断り! ……はぁ、よくよく考えてみれば、今でも充分鬼畜だったね。 全く、仕方ない。ほんっっとうに仕方ないなぁ……。 また一方で静夜は、災禍の風を支配する旧き魔術師の末裔としての顔を持っていた。 組織に頼らず、今日まで生き残ってきた魔術師というものは、ただそれだけで充分過ぎる能力を持っている。自由を失う代わりに身の安全を手に入れた弱き者と違い、己の力だけで戦い続けてきた。ただの一度の敗北も許されず、常に最強であることを義務付けられてきた。彼は、風間家に代々伝えられる膨大な魔力と叡智を継いだ最凶の魔術師だった。 しかし、そんな彼にとって柊木楓の存在は唯一の弱点に為り得る存在だった。 ――ムカつく奴だな。お前、何が言いたいんだ? 柊木楓の存在を失ったその瞬間こそ、最凶の魔術師が崩壊する。 故に、柊木楓は風間静夜を狙う悪魔によって殺された。稀代の天才魔術師を陥落させるために打たれた一手。それは痛恨の一撃として静夜を襲ったが、それでも彼を倒すには至らなかった。悪意の手が届く瞬間、静夜は自分を狙う存在に気付くことができた。 静夜が悪魔に気付くことができたのは偶然ではない。死の間際、楓が教えてくれたのだ。声も出せない状態であったのにも拘らず、今にも魂が消えてしまうのにも拘らず、彼女の想いが静夜に届いた。 楓の愛があったからこそ、静夜は今生きていた。 ――幼馴染として、こんな悪魔みたいな奴を放置しとけない。 ……だから、これからはずっと静夜と一緒にいてあげるからね。 ずっと側にいて、静夜が正しい道を行けるように導いてあげる。約束だからね? 「神如き強者、山羊の守護者、グリゴリの指導者。 七つの蛇の頭と十四の顔、十二の翼を持った『大悪魔アザゼル』。 それがヴァーレリオ・ベニーニ枢機卿に宿っていたと噂されていた大悪魔の正体だよ」 『アザゼル』は人間創造に反対していた天使であり、後に堕天して悪魔となった。 旧約聖書偽典エノク書によれば、『アザゼル』は下界に蔓延る悪を監視するために送られたグリゴリの指導者であったとされた。しかし、下界に降り立った彼等は人間の女性に惚れ、神より授かった任務をを放棄して人間と結ばれた。そのため、堕天したと伝えられている。 また、グリゴリが天界の秘術を人間に教えてしまったために、男は戦い争うようになり、女は派手に装って媚を売るようになったとされる。 「そして、そいつが楓を殺した悪魔なんだな?」 陽平は煮え立つ怒りを抑えながら、リーズに尋ねた。 初めて聞く親友の仇の名。陽平はその許し難き悪魔の名を魂に刻みつけた。 「あくまで、かも、だよ。ベニーニ枢機卿が『アザゼル』に寄生されていたという証拠は何一つないんだから。まぁでも、あの方は社会的な立場がある上、クルキアレ部隊のパトロンだったから満足な調査ができなかったんだよね」 クルキアレ殲滅部隊はただの殺戮集団ではなかった。むしろ、警察機関に近い集団であった。クルキアレ部隊の性質上、一般的な行政司法には一切不干渉であるが、それでも異端審問会という秘密司法機関に属している。故に、異端審問会の許可なく、殺戮行為を実施することはできなかった。 ヴァーレリオ・ベニーニ枢機卿は次期教皇候補にして、クルキアレ部隊のパトロン。異端審問会にも絶大な影響力を持っている。そうした相手に対して、易々と捜査令状が出されるはずがなかった。 「確か、ベニーニ枢機卿は次期教皇候補とも言われているほどの奴だよな? そんな奴に悪魔寄生疑惑なんてあっていいの?」 「むしろ、だからこその疑惑なんじゃないの? 有力な候補者に悪い噂を立てるってのは選挙戦略の一つでしょう? まぁ、火のない所に煙は立たないかもしれないけど? それより、どうして悪魔の中でも『アザゼル』が憑いていると言われたの? メジャーじゃないってことはないけど、もっと他にもいるでしょう? 力があって凶悪なのが」 亜紗の問いにリーズは表情を曇らせた。 リーズはしばらく答えることができず、無言のまま顔を俯けていた。 「……リーズ?」 「少し、ボクの中にいる悪魔の話をしてもいいかな?」 「……あぁ、構わないよ。俺も少し興奮し過ぎてるからな。ちょっと頭を冷やす時間がいるかもな……」 陽平はいつもの穏やかな笑みを浮かべ、リーズに近寄っていった。そして、彼女の頭をくしゃくしゃと撫で、ベッドに腰掛けた。 以前、リゼットは言った。リーズは孤独であり、自分ではその孤独を癒すことはできない、と。肉親である彼女が癒せない孤独とは一体どのようなものなのだろうか。そして、これからリーズが語ろうとしていることは、その孤独のことなのだろうか。 リーズが何を思っているのかはわからなかったが、陽平は彼女の側にいようと思った。彼女が孤独だというのなら、それを救ってあげたかった。 「……元々肉体を持たず、不死に近い悪魔には繁殖するという概念はないの。だけど、自らの『力』を残すため、高めるために寄生体の子孫に自らの力の一部を植え付けることがあるんだ。そうして植え付けられた『力』は子孫の魂を徐々に喰らい続け、新たな子供が生まれればその子供に移っていく。そうして何百、何千年もの長い時間をかけて、『力』を凝縮していくの」 「もしかして、リーズはそうした家系の……?」 「うん、ご名答。察しのとおり、ボクの中には長き時を経て凝縮された悪魔の力が眠っているんだ。そして、この悪魔の力はボクにのみ受け継がれている」 リーズはまるで自ら心臓を引き摺り出すかのように胸元を掻き毟った。 自らの中に眠る悪魔の力によって全ての幸せを奪われた。忌まわしきは悪魔の力だったが、リーズがもっとも許せないのは罪に塗れた自分自身の存在そのものだった。 「どうして、リーズだけが……」 何故、リーズだけが悪魔の力を持っているのか。それが陽平にとって最大の疑問だった。リゼットの様子を見る限り、彼女は悪魔の力はないようだ。しかし、双子の姉妹であるリーズとリゼットに何故、それほど大きな違いがあるのだろうか。 「純化って言ってね、悪魔の血筋には稀に神聖性を持った子が生まれるの。それが、私の双子の姉妹であるリゼットなんだよ」 「神聖性? 悪魔の血筋に?」 「キリスト教において悪魔は、堕落した天使とされているの。もしくは他文明、他宗教の神々が失墜したものとも言われてる。まぁ、どちらにしても元は神聖性を持った存在だったのよ。そして、悪魔に堕ちた後もそうした神聖性は残っているの。 悪魔にとって神聖性はもはや不要なものでしかない。だけど、そうした神聖性を捨てるのは非常に難しいの。神聖性も力の一部で、下手に神聖性だけ捨てると弱くなるだけ。神聖性を完全に捨て去るには、時間をかけて徐々に削り取っていくしかないの。悪魔が後世に力を残すのは、ただ力を凝縮するだけじゃなくて、不要な神聖性を捨てるためでもあるの」 悪魔として凝縮された悪意を継いだリーズ。 天使として捨てられた神聖性を継いだリゼット。 同じ血肉を分け、もっとも近い肉親であるというのに、彼女達姉妹が背負った運命は決して相容れぬものであった。一人は悪魔として、一人は天使として生まれた。双子というもっとも近い存在でありながら、もっとも遠い存在として生まれてしまった。 リーズやリゼットの悲しみがようやく理解できたような気がした。家族でありながら、家族として普通の幸せを望めないのはあまりに悲し過ぎた。 「……ボクとリゼットの祖である堕天使は『アザゼル』。そして、ボク達姉妹の後見人でもあったベニーニ枢機卿は『アザゼルの守護者』と揶揄されていたんだよ……」 「……親殺し、か……。嫌な話だね……」 常に飄々としていた逸樹の顔に初めて憂いの表情が浮かんだ。 恐らくリーズ・ベルナールの苦悩を共感できる者は、佐渡逸樹をおいて他にはいないだろう。彼の境遇はリーズと近いものがあった。過ぎ去ったこととして逸樹の中で整理ができていたが、それでも忘れ得ぬ忌まわしき過去だった。 「リーズが初めて悪魔アザゼルの力を覚醒させたのは、六歳の頃でした。また、私が天使アザゼルの力を覚醒させたのもその時でした。もし、あの時私の覚醒が一瞬でも遅ければ、私も両親と共にリーズに殺されていたと思います」 ベルナール姉妹が六歳の頃に起こった悲劇。 悪魔の覚醒はあまりに唐突であった。リーズの覚醒にキッカケがあった訳ではなかった。ただ、いつもどおりの日常を送っていただけだった。たとえ、呪われた家系であろうとも家族と笑い合える普通の幸せを得る資格はある。しかし、そんなささやかな幸福は、連綿と続く過去の因果によって完膚なきまでに壊されてしまった。 身の毛もよだつような雄叫びと共にリーズは父の心臓を抉り出し、母の首を捩じ切った。そんな凄惨な光景を目の前にして、リゼットは初めて自分の中にある天使が覚醒した。 「なるほど、天使は対悪魔に特化した能力があると聞いたことがあるな。その能力のおかげか?」 「能力については企業秘密です。まぁ、あえて言うなら悪魔の能力は強化系、天使の能力は領域系が多いです」 「領域系、か……。なら、お前も使えるな? 呪縛結界、空間歪曲封呪を」 先の風明寺跡襲撃で使われたと思われる二つの魔術。敢えてそれを指名して尋ねる意図は、つまり疑惑である。リゼットにも、先の一件に関わっていた可能性がある、という疑惑だ。 「…………使えるか、と聞かれれば、使える、と答えるしかないですね。でも、二つ同時に展開するのが限界ですよ。静夜君は私を疑っているんですか?」 怒りと不快感をあらわにしたリゼットが、若干語気を荒げながら尋ね返した。 「当然だろう。ベニーニの関係者を無視できるか」 「確かに、ベニーニ枢機卿は私の後見人でした! でも、あの人は私達のような身寄りのない子供を引き取って……」 「奴や貴様の事情なんてどうでもいいんだよ。さっきも言ったが、俺の目的は楓を殺した悪魔を殺すことだけだ。そして、その悪魔にもっとも近いのは貴様等だろう。疑うな、という方がどうかしている」 「ふざけないでください! 私はクルキアレの一員ですよ! 悪魔に与するはずがないじゃないですか!」 リゼットは怒りに満ちた瞳で静夜を睨み付け、思い切り怒鳴り付けた。 以前にも信仰を侮辱した静夜に激昂するなど、リゼットは存外に激情家のようだった。しかも、熱くなると相手が誰であろうと構わず食って掛かる命知らずでもある。 「どんな組織にも、組織を裏切る奴ってのは必ずいる。クルキアレであるからといって、悪魔に与していないとは断言できないな。実際、ベニーニにはそうした疑いがあった。それに、貴様等は悪魔に連なる者だ。 そもそも貴様等がクルキアレである証拠は何一つない。何しろ、貴様等以外の連中は行方不明なんだからな?」 「なっ……!? あ、貴方という人は……」 「落ち着くんだ、リゼット君。今は内輪揉めをしている場合ではない。風間君も彼女を挑発する発言は控えるんだ」 見かねた護国寺が立ち上がり、リゼットを宥めた。 彼女はまだ憤っているようだったが、ひとまず口を噤んだ。しかし、表情は依然として険しいままだった。 「……さて、そろそろ本題の話をしようか、風間君。我々の指揮下に就くか、否か。 君の要求どおり、我々の真の目的を教えた。我々はClass of Apocryphaを討ち、事件を早期解決することだ。このことを話した以上、君達もClass of Apocrypha討伐に協力してもらう。構わないな?」 「そこの短気な女の指揮下ってのに不服はあるが、いいだろう。協力してやる」 静夜はいつものように薄く笑った。 短気な女と言われ、リゼットは非常に不服そうではあった。しかし、今目の前にいる魔術師の協力を個人的な我侭で破談にはできなかった。Class of Apocryphaを追い詰めるためにも、討ち果たすためにも、静夜の協力は必要不可欠だった。 「柊木君はどうだ?」 「……静夜がそれでいいなら、僕に異論はない……」 「了解した。君達の決断に感謝する」 静夜と司の返答を聞いた護国寺は小さく頷き、懐から手帳を取り出した。そして、それを捲り、ペンを走らせてメモをとった。 護国寺は他のメンバーのように特別な能力はなかったが、記憶力と情報処理に長けていた。地味ながらも事件捜査にとってもっとも有用な人物であった。 「さて、今後の捜査のことだが……」 意外にも陽平は料理が上手かった。 両親はすでに他界し、兄弟は随分と前から二人暮らしだった。柊木牧師に面倒を見てもらうことが多かったが、やはり自炊をすることも少なくなかった。そして、兄という責任もあった陽平はよく家事をしていた(唯我独尊の静夜が家事をしなかったという言い方もあるが)。 もっとも陽平が料理に励んだ本当の理由は、美味しいお菓子を作ると楓が喜んでくれたからだった。 「んん〜、この薄皮饅頭美味しい~。これ、本当に陽平の手作り? こういうのなんて言うんだっけ? 馬鹿の一つ覚え?」 「……確かに美味しい。こんな繊細な味を狙って作れるなんて、馬鹿兄のくせにやるわね。正直、驚いたわ」 陽平は見舞い品として、手作りの薄皮饅頭を持ってきたのだが、想像以上に好評だった。しかし、いちいち最後に馬鹿兄と付けるのは止めてほしかった。 「お前等なー、褒めるか貶すかどっちかにしろ。確かに、俺は静夜と比べたらアレだけどな、そもそもあいつが規格外なんだよ」 「……ねぇ、陽平? 前から思ってたんだけどさ、そんな凄い弟がいてよく捻くれなかったね? 普通なら、嫉妬して歪んで根暗な奴になるもんじゃない?」 光が眩しければ眩しいほど、闇は深くなる。 陽平は確かに優れた才能に恵まれている。しかし、弟が持つ天賦の才の前では、自らがいかに凡才なのかを思い知らされる。人間ならば、その歴然とした差を妬まないはずがなかった。 「……んー、何でだろうな? まぁ、両親が早くに亡くなっちまったからな。兄弟いがみ合っているほど余裕なかったんじゃねぇのか? それに、あぁ見えて意外と兄思いな奴だぞ?」 「「それ、恐ろしく説得力ない」」 怪我人二人が息をぴったり揃えて反論した。 「……いや、お前等が言わんとすることは、よーくわかるんだがな……。あれで意外と……」 陽平は自分で言っていて、自信がなくなってきた。静夜はあれで意外と身内には甘い方ではあるのだが、普段があまりに凶悪凶暴なためにそう思えなかった。 「んっ、そういえば、貴方達の両親が亡くなったってのはいつ頃?」 「……俺が五歳頃じゃなかったかな? よく覚えてないんだけど」 両親が亡くなった当時のことはよく覚えていなかった。まだ陽平が幼かったということもあったが、その当時の記憶がまるで靄がかかっているかように不鮮明で何一つ思い出せなかった。 「馬鹿兄が五歳ってことは……」 「おい、コラ。馬鹿兄は止め……」 「……(無視)。あの腐れ外道は四歳? そんなガキがどうやって魔術を身に付けたの? っていうか、それ以前に普通は施設とかに行くものじゃないの、馬鹿兄?」 「……(諦めた)。わかんねぇって。そもそも俺は魔術の存在知ったの、最近だし。まぁ、孤児院とか行かずに済んだのは柊木牧師がいてくれたからじゃないか?」 「それも変よ。そもそも風間家と柊木家は何の血縁関係もない上、馬鹿兄弟を直接養子に引き取った訳でもない。なのに、何故馬鹿兄弟が平然とこの町にいられたの(っていうか、消えててくれた方が本当せいせいするのに)? そして、あの腐れ外道に魔術を教えたのは、何者?」 過去と現在を間に存在するミッシングリンク。 その存在がなければ現実につながらないはずなのに、その存在自体が存在しない。亜紗の指摘によって、陽平は初めて自分の過去にある矛盾した欠陥があることに気付いた。おそらく自分自身では絶対に気付けなかっただろう。 「……まぁ、それは確かに気になるけど、ひとまず今回の一件には関係ないわね」 亜紗はつまらなそうに溜め息を吐くと、薄皮饅頭を一つ頬張った。 「で、問題の亡霊牧師事件はどうするのよ、亜紗? 何か考えあるんじゃないの?」 「そうだよ。あの悪魔の次の狙いは何なんだ? もしかして、まだ静夜を狙ってやがるのか?」 お茶を啜り、亜紗は溜め息を一つ吐いた。 本音を言うならば、静夜がどうなろうと、亜紗の知ったことではなかった。むしろ、この世から消え去った方が確実に世のためだ、とすら思っていた。しかし、今回の事件は静夜だけの問題ではなかった。 亜紗の予想の中でもっとも最悪なケースでは、数千人規模の犠牲が出る。それだけは絶対に止めなければいけなかった。 「……ひとまず、これだけは言っておく。あの腐れ外道が狙われることはもうないわ。悪魔はすでに『亡霊牧師』という宿主を見つけている。しかも、柊木牧師やベニーニ枢機卿を躊躇なく殺しているところを見ると、相当の『器』を手に入れたんでしょうね。なら、わざわざ危険を冒してまで、あの腐れ外道を狙う必要はない。というか、そもそもあの腐れ外道が悪魔の『器』って可能性もあるけどね」 「じゃあ、亡霊牧師は次に何を仕掛けてくるの?」 「具体的に何とは言えないけど、また大量の人間を殺すでしょうね。亡霊牧師の今までの行動を見る限り、とにかく大量の魂を必要とする何かをしようとしている。柊木教会、風明寺跡、加えて行方不明になった白の派閥とクルキアレの構成員。これだけの魂を集めて何をしようとしているかなんて想像もしたくないわね」 亜紗は溜め息を吐きながら、最後の薄皮饅頭に手を伸ばした。しかし、あと少しで饅頭に届くはずだった彼女の手は何故か空を切った。嫌な予感がしてリーズの方へと視線を向けると、亜紗が手にしようとしていた薄皮饅頭はリーズの口に放り込まれていた。 「…………」 「ひょえで、あひゃにゅひょうふぁ?」 最後の饅頭を実に美味しそうに食べながら、リーズは何かを言っていた。「それで、亜紗の予想は?」と言っているような気がする。 「…………いくつか考えられるけど、今のところ断定できる材料はないわよ。ただ、これだけの魂を使った大掛かりな魔術と考えるなら最低でも町の一つや二つ滅ぶわね。何が起こるかなんて、考えている場合じゃないわ。何かが起こる前に絶対止めるしかない」 「なぁ、俺にはさっぱり予想がつかないんだが、例をあげるとどんなだ?」 今まで魔術やら悪魔やらとは一切無縁な生活をしていた陽平には、今一つ悪魔などの恐ろしさが想像しがたかった。 亜紗は若干鬱陶しそうに溜め息を吐くと、記憶を手繰って悪魔が起こした凄惨な事件の実例を思い出した。 「私が知る限り、Class of Apocryphaが関わった最大の事件は三年前の『グラシャ=ラボラス復活』かしら? 町一つがレベル3以上の生物汚染寸前、つまり人体に甚大な害を与えるウィルス等が拡散するような事態になりかけた上、Class of Apocryphaであるグラシャラボラスが完全体として復活したわ。まぁ、事が表沙汰になる前に解決できたけど、あの事件で派閥の構成員が何人死んだことか……。もし、止められなかったら、リアルなバイ○ハザードみたいになってたわね」 「そりゃ、とんでもないな……」 陽平にとっては正直信じがたい話であったが、今さら亜紗が冗談を言うはずもなかった。彼女が今語ったことはかつて実際にあったことであり、Class of Apocryphaの恐ろしさは疑う余地はない。陽平は息を呑み、Class of Apocryphaの認識を改めなおした。 「あっ、その事件知ってる! 確か、完全復活したグラシャラボラスを十二歳の子供二人に倒されたって……。んっ、そういえば、その子供の名前って剣と逸樹って……」 「ご名答よ、リーズ。イッキはかつて、貴方達が言うところのAランクオーバーの化け物を撃破しているのよ。仮に今回の事件に『アザゼル』が関わっていようとイッキなら問題ないわ」 リーズは薄皮饅頭を頬張ったまま唖然としてしまった。 Aランクを超える悪魔の絶対的な力をリーズは肌で覚えていた。以前、リーズはAランクを超える悪魔と交戦する部隊に、増援として向かったことがあった。その時、彼女が目撃した戦場はあまりに凄惨だった。化け物を殺すための化け物部隊であるクルキアレ殲滅部隊が、たった一柱の悪魔を相手に全滅寸前であった。辛うじて、その悪魔を討伐することに成功したが、リーズは全治数ヵ月の重傷を負った。 クルキアレ殲滅部隊が敵性を認識する際、クラス、レベル、ランクなどの分類がある。クラスとは、魔術師や悪魔などの性質や特徴などの属性による大まかな分類。レベルとは、魔力値を基にして測定される数的で細やかな分類。ランクとは、クラスやレベルなどを統合して導き出された総合戦闘能力の評価分類。 ちなみに、Class of ApocryphaはAからCランク以上、魔術師は最高でもDランク以下と言われている。クルキアレ殲滅部隊の評価では、リーズはDDランク、リゼットはランクEとされている。追記するならば、静夜は推定DDDランク。それらを考慮すると、たった二人でAランクのClass of Apocryphaを撃退した逸樹の凄まじさが理解できると思う。 「当面、私達がやればいいことはイッキや腐れ外道を亡霊牧師と直接対決させるような状況を作ればいいんだけど、これがなかなか難しい。 Class of Apocryphaに限らず、悪魔というものは肉体という境界が存在しない。自身の力をいくつにも分けて、複数の人間を操ることが可能なのよ。それはこの間の一件でよくわかるでしょ? 同じ意志を持った存在が全く別の場所に現れる」 「じゃあ、どうすんだよ? 体が複数あるような奴をどうやって捕まえるんだ? 一つでも見落としがあれば、亡霊牧師は倒せないのかよ!」 「陽平、残念なことだけど、悪魔を完全に滅することは不可能なんだよ。亜紗も言ったとおり、悪魔というのは複数の肉体を制御できる。だからこそ、自分が完全に滅せられないようにネズミや虫みたいな小さな生き物に力を分け、いざという時のための保険を作る。 ボク達ができるのは、悪魔が人間に害を与えられないレベルまで魔力を削ぐこと。個人的な恨みがある陽平には納得いかないかもしれないけど、ボク達の勝利はそれだけなんだよ」 悪魔を完全に滅することはできない。 その理不尽な事実に陽平は憤慨したが、極力怒りを表情に出さないよう努めた。いや、というよりも思った以上に怒りが湧きあがらなかった。何故なら、一つの確信めいたものが陽平の脳裏を過ったからだ。 あの悪魔よりも凶悪な風間静夜が、そんな中途半端な終わらせるはずがない。その存在を完全に滅するまで諦めるはずがなかった。 「今、私達にできることは限られている。だけど、悲観することはないわ。私達にできることは決して無意味なんかじゃない。必ず、亡霊牧師を追い詰められる」 「……そう、だな。今、できることをやろう」 楓の仇を討つ。そのためなら、鬼にでも悪魔でもなってみせる。 陽平の覚悟は固かった。大切な幼馴染であり、家族であり、愛する人であった少女の無念を晴らすためなら、どんな非道も厭わない。彼は静夜と同じと血を分けた兄弟であるが故、その本質には大木をも薙ぎ倒す暴風のような残虐性を秘めていた。 「ひとまず、亡霊牧師の次の行動は読めている。自らの計画にとって脅威である私達の排除。でも、イッキや腐れ外道の存在を恐れ、直接姿を現すことはないはず」 「なら、柊木牧師をそうしたように、また捨て駒を使うのか?」 「勘がいいわね。おそらく十中八九、その線で当たりよ。だけど、もう少し深く考えてみなさい。奴の目的や意図を考えるなら、ある一つの方法で攻めてくると予想できる」 陽平は今まで知り得た情報をまとめ、亡霊牧師の次の行動を推理してみた。 柊木楓を殺した悪魔。そして、その悪魔に使役されている現在の肉体、亡霊牧師。静夜の肉体を得るために楓を殺した悪魔であったが、現在は別の肉体(亡霊牧師)を手に入れている。今、亡霊牧師は大量の魂を集めて、何かを為そうとしている。 また、亡霊牧師にとって自らの計画を阻害するクルキアレ殲滅部隊や白の派閥の排除は必要不可欠な行為。実際、両組織からすでに犠牲者が出ており、亜紗やリーズも動けない状態だった。しかし、亜紗達の傷はさして深くはない。必ず彼女達の傷が癒え切る前に、始末しに来るだろう。 大量の魂を得る。邪魔者を始末する。二つの目的を同時に為し得る方法は、自ずと導かれる。 「……大量殺人? 今病院にいる全ての人間ごと、リーズ達を始末しに来る……?」 正解、と言わんばかりに亜紗は微笑んだ。 陽平の推理はかなり的を射ている。大量の魂を得るためには、大量の人間を殺さなければならない。そして、総合病院は大量の人間が訪れ、また大量の人間が滞在している場所でもある。 あとは、大量殺人を為すための方法である。人を同時に殺すためにもっとも適した方法は、それほど多くはない。 「爆弾、か……?」 人間を大量に殺すことにおいて、爆弾ほど適したものはないだろう。 しかし、陽平の脳裏に何かが引っ掛かっていた。爆弾、という選択肢は決して間違いではないように思えるが、最適といえるか疑問が過った。あまりに正当過ぎる方法であるが故に予想しやすく、対策も比較的取りやすい。仕掛けられた爆弾は一度解除されれば、もう二度と動くことはない。 爆弾以外に考えられる大量殺人の方法。陽平はすでにその方法のヒントを聞いているような気がした。今までに聞かされた全ての情報を一つに集約すれば、もっと最適な殺人方法に思い当たるはずだった。 侵食型思念統合体である悪魔のもっとも恐ろしい特質を用いれば、静夜達との直接対決を避けた上で、爆弾よりも確実に大量の人間を殺す方法があるはずだった。 「……そうか、そういうことか……。悪魔が取り憑く相手は人間に限ったことじゃない。時と場合によっては人間以外のものに憑いている方がいい場合だってある。思わず人間が見落としてしまうような小さな生き物に憑けば、静夜達だって簡単に欺かれてしまうかもしれない。それに、そういう小さな生き物だからこそできることもある……。 つまり、こういうことなんだ? 亡霊牧師が次に打ってくる一手は……」 そして、陽平はようやく気付いてしまった。 悪魔の能力を最大限に生かした最悪の大量殺人の方法に。 「……」 |