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第二章 災禍の予感 1 作:遠野 秀一 1. 「死ぬな、亜紗!!」 血塗れになった私の体を、彼が優しく抱き上げた。 懐かしい温もりだった。それほど長い間離れていた訳ではなかったのに、彼の温もりが本当に懐かしかった。しかし、この温もりに触れられるのもこれが最後なのだ、と本能的に感じていた。 何故なら、私自身から命の温もりが消えていくのを感じるからだ。私は、もう二度と温もりを感じられない場所へと堕ちていく。 「……しゅ、修司……。はは、最期に貴方に会えるなんて、ね……」 「最期なんて言うな! 諦めるな、お前は死なない! 俺が死なせやしない!」 泣きじゃくる修司の涙が、私の頬に落ちた。 悲しかった。彼が泣くから、私も悲しかった。こんなにも彼を悲しませ、本当に悲しかった。 自分の死については、それほど怖くない。私はこの未来を知っていた。運命を変えようと戦い続けていたが、ある程度の覚悟はしていた。だからこそ、怖くはなかった。 しかし、彼を泣かせてしまい、それだけが本当に辛かった。 「……無理よ、わかってるの……」 「何が、わかっているの、だ! 俺はそんなもの認めないぞ! 頼む、死なないでくれ……。生きて、俺の側にいてくれ……」 できることなら、私もそうしたい。 修司の側にいたい。ずっと、修司の側にいたかった。 しかし、それが無理だということもわかっていた。もう未来は変えられない。 「……嬉しいお誘いだけど、辞退させてもらうわ。これは、この死は定められた私の運命だから……」 「嫌だ……、死なないでくれ……、亜紗……。もう俺は……、大切な人を失いたくないんだ! あんな想い、二度とごめんだ……。頼むから、俺を置いて逝かないでくれ……」 修司は一度、大切な人を失う経験をしたことがあった。 興野桜。私は多分、彼女が嫌いだった。別に険悪な仲であった訳ではない。そもそもほとんど話したこともなかった間柄だった。 しかし、私は彼女が嫌いだったと思う。だって、修司は本当に彼女を愛していたから。 「……ごめんね。こんなことを言うと、貴方を苦しめるかもしれないけど、どうしても言いたいの……」 「何だ? 言ってくれ、亜紗……」 これが最期なら伝えたい。 私は興野桜になんか負けたくない。 彼女に負けないくらいに私を想ってほしい。 「……貴方のこと、好きだったわ……」 ――翌朝 その日、亜紗の目覚めは最悪だった。 恥ずかしさに物理的な威力があるとしたら、間違いなく致死レベルのダメージだ。しかも、亜紗からすれば屈辱以外の何物でもなかった。ひとまず枕を思い切り壁に投げ付け、鬱憤を晴らした。 夢。一言で片付ければ、確かにそれだけのことだ。しかし、亜紗の夢はただの夢ではなかった。彼女の見る夢には意味がある。 予知夢。それが彼女の能力だった。 彼女の能力を更に具体的に言うならば、『視る能力』。ESPに分類されるような超感覚の一種。予知夢はその『視る能力』の一部でしかなかった。彼女の能力は大まかに分類して、三つに分けられる。 一つ目は、予知夢能力。夢という形で、未来ないし過去の情報を得る能力。予知能力(プレコグニション)と透視能力(クレヤボヤンス)の中間に近い能力だが、亜紗はその能力を自由に扱えなかった。夢という形で、偶発的に情報を受信すると言った方が正しい。 二つ目は、霊視能力。これは文字どおり、霊魂の存在を知覚できる能力。それ以外に特筆すべきものはない。近くのON/OFFを切り替えることもできるため、普段から霊を見ている訳ではない。ただし、見えない状態であっても霊の存在は感知してしまう。 三つ目は、サイコメトライズ能力。物などから残留思念を読み取り、過去の情報を引き出す能力。ただし、この能力も限定条件が多いので、あまり自由に扱えなかった。 さて、問題なのは今日の夢だった。 亜紗の死。そして、それを看取る修司。 ただの夢ならどれだけいいだろうか(それはそれで腹立たしかったが)。しかし、ただの夢と予知夢の見分けはしっかりとつけられる。それに、この夢に関しては亜紗がかなり幼い頃から見ていた夢であった。 この死の運命について、亜紗はそれほど深刻にはなっていない。 何故なら、運命は変えられるからだ。今まで見てきた予知夢にしても、ほとんど未来を変えてきた。亜紗の予知夢は、一種の危機回避能力だ。動物が第六感で危険を察知する能力に近い。あらかじめ危険な未来の情報を得て、然るべき手段でそれを回避する。それこそ彼女の予知夢の真価であった。 問題なのは、最後のフレーズだ。 「あぁぁ〜、もう! 腹立たしい!」 亜紗もまだうら若き乙女である。幼き頃はあの夢に出てくる少年に想いを馳せていたものであった。死の運命を彼と共に超えるのだ、と夢想していた。 しかし、修司は出会ったその時からすでに興野桜という彼女がいた。ついでに言えば、あの阿保な性格がタイプではなかった。 少女の淡い夢は裏切られた。 だからという訳もなくもないのだが、亜紗は修司が嫌いだった。 絶対に危機は回避する。死の運命はもちろんのこと、あの凪修司を好きになるという運命も絶対に、意地でも回避する。亜紗はそう強く決意していた。 「とりあえず、あの阿呆に会ったらぶっ飛ばす」 「よう、亜紗って……ぐほぉッ!!」 一片の躊躇いもなく、渾身の力で修司の顔面を打ち抜いた。 まさか通学路で出会うと思わなかったので、ほぼ反射的に殴り倒してしまった。 亜紗はさすがに若干の罪悪感を覚えたが、すぐに修司が悪いと開き直った。亜紗はまだ先の夢について引き摺っていた。修司のことを考えている時にいきなり視界に現れられたら、驚くのも無理はない。 それに、あの予知夢の出来事はもう間もなく訪れること。意識せずにはいられなかった。 「お、お前! 静夜みたいなことすんなよな!」 「悪いわね。視界に入ってきたから、つい……」 (女版の静夜だな……) と修司は思ったが、陽平のように軽々しく口には出さなかった。 しかし、亜紗は何となく修司の心情を悟り(『視る能力』は発動していない)、足を踏んでやった。 「そんなことより、ベニーニ枢機卿の一件について幾つか情報を集めたけど、聞く?」 「あ、あぁ……。頼むよ」 反論するとまた殴られそうだったので、修司は大人しく頷いた。 ベニーニ枢機卿殺人事件は、間違いなく先の事件と関りあるはずだ。そして、その事件の奥に惨劇を引き起こした悪意がいる。その悪意を追うことが、桜の魂を見つける最短の道だった。 「まずベニーニ枢機卿について、少し説明するわよ。 本名ヴァーレリオ・ベニーニ。年齢は七六でかなり高齢だけど、七ヶ国語を自由に扱え、タカ派として有名だったそうよ。次期教皇候補として名が上がっていて、キリスト教にとって重鎮中の重鎮。三ヶ月前に行方不明になって、彼が見つかったのは事故後のことよ」 「行方不明だァ? ど、どういうことだよ?」 あの全ての惨劇を引き起こすキッカケとなった柊木楓の交通事故死。それを起こした加害者が行方不明の身だったとは、何か裏があるようにしか思えなかった。 もし、あの事故が起こらなければ、惨劇は絶対に起こらなかったはずだ。柊木牧師は決して神を疑わず、敬虔なクリスチャンとして一生を遂げたはずだった。柊木楓の事故によって全てを狂わされた、ある意味での被害者だ。 あの事故が、偶然ではなく意図して起こされたものだとしたら。 それは、あまりに不気味だ。たとえ、事故を起こしたとしても柊木牧師が狂って、あのような惨劇を引き起こすとは限らない。事故で娘を失った親のうち、彼のような惨劇を引き起こした者は皆無に等しい。 柊木楓の事故は確かに惨劇につながるものだが、それを確実に引き起こせるほど確実なキッカケではないはずだ。普通ならば、あそこまでの惨劇は起こるはずがない。 しかし、とても無関係とは思えない。 「……詳しいことはわからないわ。でも、そういうことがあったの」 「……もしかしてベルナール姉妹って、教会の……?」 修司の問いに、亜紗は意外そうな笑みを浮かべて答えた。 「察しがいいわね。正解よ。彼女達はヴァチカンの暗部にいる連中よ。リゼットは情報収集担当。リーズが始末担当。まぁ、貴方の場合、リーズに……」 「ちょ、ちょっと待て! そんな話をこんなところでしていいのか!」 修司は慌てて、亜紗の話を中断させた。 こんな朝から、しかも、人通りの多い通学路で話すようなことではない。 「構わないわよ。そもそも知られて困るような情報を貴方に話してないわ。それに、こんな話を一般人が聞いたところで信じやしないわ。つーか、騒ぐな」 「……さいですか」 随分とアバウトだな、と思いつつも殴られたくなかったので、修司は口にしなかった。 「それより、ベニーニ枢機卿の話に戻るわよ。 さっきも言ったとおり、ベニーニ枢機卿は行方不明だった。仮にベニーニ枢機卿を殺したいという人物がいたとしても、彼はすでに植物状態だった。わざわざトドメを刺す必要などないわ。それを殺すってことは、よほどの怨恨があったか、植物状態でも生きていられては困る事情があったか」 「植物状態でも生きていられては困る事情って何だよ?」 「たとえば、遺産とか。社会的地位も高い人だし、相当溜め込んでいたはずでしょう? 一族全員敬虔なクリスチャンとは限らないし。性急に金がほしいって人物が身内にいたかもしれない。まぁ、他にも何かあるかもしれないけど、今のところベニーニ枢機卿が殺される理由として考えられるのはそれくらいね」 怨恨か、遺産か。 どちらも人が人を殺すもっとよくある動機だ。しかし、この殺人事件はそれだけでは終わらないはずだ。 「遺産をほしがる者はいるはず。でも、遺産がほしいなら、あんな殺し方をするはずがない。する意味が全くない。 だから、消去法として動機は怨恨以外にない。そして、ベニーニ枢機卿にそれほどの憎悪を募らせ、且つ、例の殺し方を知る人物はただ一人」 わざわざ亜紗が口にしなくても、その人物が誰かはわかる。 目の前で大切な人を理不尽に失ったことのある修司は、その人物の憎悪が誰より理解できた。もし、柊木牧師を殺す機会があるとすれば、修司は迷わず彼を殺すだろう。その殺意は、誰よりも理解できた。 「静夜、か……」 「そう、今のところあの腐れ外道が最有力容疑者よ」 静夜を腐れ外道呼ばわりとは、亜紗も随分とリスキーなことを言う。先程から、誰が聞いているかもわからないというのに、危険球ばかりだ。とても心臓に悪い。 「だけど、あいつが犯人なら解せない謎が三つあるわ」 「なんつーか、静夜を犯人断定扱いだな」 修司は苦笑しつつも、何となく静夜が犯人のような気がしていた。 静夜ならベニーニ枢機卿を殺しても不思議ではない。全く不思議ではない。むしろ、納得する。静夜の攻撃性や残虐性、そして最愛の人を失った悲しみと憎しみを総合して考えれば、彼がベニーニ枢機卿を殺さない方が不思議だ。 それに、あの時の悪意に満ちた笑い声。今でも耳に残るほど印象的で不気味だった。思い出すだけでも、体が震える。あれはまるで悪魔の笑いのようだった。 あの笑い声が、静夜の疑惑を確固たるものにしていた。もちろん、理論的なものではなく、本能的なものでそう感じていた。 あいつは悪魔だ。 「まず一つ目の謎。……まぁ、これは謎というより、アリバイね。ベニーニ枢機卿殺害の犯行時刻は、昨日の一二時五〇分頃。その時間帯、あいつは馬鹿兄と金魚の糞とベルナール姉妹と一緒にいた。学校からベニーニ枢機卿のいた病院まで片道でおよそ一〇分。どう考えても、殺す時間がない」 静夜のアリバイならば、修司と亜紗も確認している。あの時、裏庭に静夜が現れたのがほぼ一時頃。どう考えても、病院との往復は不可能だった。もっとも、あの状況からではそれを証言することはできないが。 ちなみに、馬鹿兄とは言うまでもなく陽平のことだ。そして、金魚の糞は司。亜紗は随分と静夜達が嫌いなのだな、と修司はくだらないことを思った。 「二つ目、何故あのような殺し方をしたのか? 事件の再現をするような殺し方をする意味が不明。娘を失い狂ってしまった柊木牧師の無念を晴らすために、同じ殺し方をした、というんじゃ、理由としてちょっと弱いでしょ? それに、事件との関連性を持たせて、静夜が得することなんて一つもない。むしろ、そのせいであいつの容疑が濃くなった」 「そうだな。静夜ならそんな無駄なことをするより、完全犯罪をやりそうだな」 謎めいたことをするより、非の打ち所のない完全犯罪を成し遂げる方が静夜のキャラに合っている。静夜の犯罪だとしたら、このような無意味なことはしないだろう。 ただ、この行為に何かしらの意味があるのなら、話は別かもしれないが。 「そして、最後の謎は、殺した時期。何故、楓が死んだ直後、柊木牧師が狂った直後に、殺さなかったのか? 楓の事故の三ヵ月後、柊木牧師の事件の一ヵ月後、そんな中途半端な時期に殺したのか。殺す機会ならいくらでもあったはずなのに、どうしてこんな時期を選んだのか?」 「もし、静夜が犯人ならこの時期に殺すのはおかしい。別の犯人、別の思惑があって、殺された可能性も否定できない、ってことか?」 「えぇ、そのとおり。この時期のズレは、別の犯人の存在をにおわせている。実際、怨恨以外でも命を狙われかねない人だし、適当な捜査もできない。だからといって、いつまでも犯人を捕まえられないんじゃ警察の威信にも関るから、いろいろ面倒だそうよ」 大きな溜め息を吐き、帽子を少し揺らす亜紗。 まるで警察関係者から聞いてきたような言い草だった。もしかしたら、実際に警察関係者から話を聞いてきたのかもしれない。これだけ詳しい情報を学生である彼女が簡単に集められるはずがない。 それに、彼女も組織に属していると言っていた。それがどんな組織なのか、そもそも真実なのかも不明瞭だが、彼女の協力者が警察関係者ということは間違いないだろう。 「つーか、そもそもの疑問だけど、亜紗は何でそんなに静夜が犯人だと……」 「おっはよ、亜紗!」 突然、背後から軽い衝撃。 背中を押された二人は前につんのめりつつも、何とか踏みとどまった。そして、同時に振り返り、同時に後ろから突き飛ばしてきた相手に文句を言った。 「誰だよ、いきなり!」「毎度毎度止めてくれない?」 修司は純粋に驚き、亜紗は慣れた調子で文句を返した。 しかし、文句を言われた張本人は全くそれを気にした様子はなかった。天真爛漫な笑みを二人に向けていた。 「あれ? 凪君? 二人って仲よかったっけ?」 「お前、岸辺かよ……」 岸辺藍。亜紗の親友であり、あの惨劇の生き残り。 一時期、修司は岸辺藍を恨んでいた。それは八つ当たりのようなものだ。何故、生き残ったのが桜ではなく藍だったのかと、理不尽な怒りを感じていた。それは今も心の奥底に眠っている。 だから、修司は内心で嫌な奴と会ったと思ってしまった。誰とでも親しくできる彼にしては、珍しい感情だった。 「……別にクラスメイトなんだから、偶然会って一緒に登校したって不思議じゃないでしょう?」 「亜紗が親しくない人と普通に話すってのがまず不思議」 ずばっと言いにくいことを言い放つ藍。 亜紗は、くっ、と不満そうな顔をしたが、何も言い返さなかった。言っても無駄なのか、言っても言い負かされるのか、言っても余計な詮索をされるから嫌なのか。おそらくその全てだろう。 「白状しなさい、亜紗。凪君と何があったの? ん〜?」 「ちょ、止めなさいよ、藍! コラ、帽子をポンポンと叩くな!」 亜紗は背後から藍に抱きつかれ、玩具になっていた。 藍は女性の割に身長が高い。運動神経も抜群で、静夜とまともにスポーツ勝負ができるほどだ。この学園で静夜とスポーツでまともに勝負できる人間など、数えるほどしかいない。彼女はその中の一人だった。 そんな相手に後ろを取られては、亜紗が勝てるはずもない。元々、運動能力に差があり過ぎるのだから。 「や、止め……、きゃう、やぁ〜」 とても亜紗があげているとは思えないような可愛い悲鳴。 先程の雰囲気がすっかりほだされてしまった。日常の、平穏に満ちた優しい雰囲気。本来、修司がいるべき穏やかな世界がそこにあった。 この状況では、先程の話の続きは絶対に無理だろう。慣れたはずの日常の空気。しかし、修司はそれに違和感を覚えていた。 |